れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

キャバ嬢やオーナーって大変なのね。

最近、ガールズバーやキャバクラに行くことがあって、そのときに思ったことをつらつらと。

 

まず請求される料金を料金としては、キャバクラが1人7000~9000円/時間、ガールズバーが4000円/時間、程度である。私は安い所に行ったからこれぐらいですんでいるのかもしれないが、値段の高さは天上なしであろう。今回は私が行った店程度の値段と仮定してentryを書く。

 

私が行ったお店の場合、キャバクラでは1人の客に対し、1人のお姉さんがついた。ということは、あたり前だが1時間に1人が稼ぎ出す値段は7000~9000円になる。例えば新米の子の場合、時給が正確にはわからないが、2000円程度とすると、7000円の内70%ぐらいは店側に持っていかれる計算になる。店舗側はこの70%分を店舗の維持費、幹部・ボーイの給料、交通費、酒代等にするのだろう。

一方、女の子側はこの2000円がすべて生活費になるのではなく、ドレス代にも消えると言う。しかもドレス代は平均で1着10000円ぐらいらしい。さらにはネイル代も結構かかり、こったものだとこれまた10000円ぐらいするらしい(私についてくれた子は月に1度通っているらしい)。また1日に働く時間は5~8時間ぐらいである。コンビニとかのバイトよりは稼げるが、そこまで多くはない。むしろ私の想像よりは少なかった。そしてドレス代、ネイル代等の化粧代もかかるので大変である。

しかも年齢も制限されてしまうため、死ぬまでキャバクラは続けられない。となると多くは職を変えるしかなくなるのだ。

しかし若いうちに金があった方が体験したいことを若いうちにできるのでいいのか。このときにブランド地獄にはまってしまったら最悪だが...。

 

こう考えるとキャバクラの仕事って、副業でやるならいいが、本職でやると副業ほどのメリットが得られないような気がする。なので学生がキャバ嬢をやるのは、なかなかのおすすめであると私は思う。自分で使えるお金がはるかに増えるだろう。そのお金をうまく自分に投資できれば、人生が豊かになる。

また店舗経営もお会計をした直後は儲かるような気がしたが、様々な経費を考えるとそうでもないなー、と思った。

やはり固定費をもつビジネスはなかなか大変だね。

 

キャバクラはたまに行くのが楽しく、頻繁に行くものではないことを、身を持って体験。

あなたの授業中の思い出は?? -【マンガ】「となりの関くん」

小飼弾さんのブログで紹介されていた「となりの関くん」を読んだ。

 

小飼弾ー404 Blog Not Found

職業病としての中二病 - 画評 - となりの関くん

 

立ち読みサイトはこちら

FLIP-FLAPPER ≫ 『となりの関くん』第1巻の店舗特典情報&試し読みコーナー

 

今週頭は京都に出張だったので、飛行機に乗る前に新千歳空港の本屋でゲット!!機内に入った後、速攻で読み始めた。

1話完結型かつその1話が非常に短い。

いやー、おもしろかった。

 

話としては、真面目な藤井さん目線から見る、となりの席の関くんの授業中の遊びを描いた物語である。

いや、遊びといっては関くんに失礼か。遊び改め、関くんの授業中の「仕事」の話である。

シンプルな設定ではあるが、「仕事」がなかなか凝っていて、毎回同じ設定でも飽きない。早く新刊を読みたいところだ。

 

学園モノは多く読んできたが、ほとんどは恋愛系で授業中に焦点を当てたマンガは読んだことがなかった。

むしろ存在しなかったのではないか!?

弾さんの言う通りである。

学校ほどもっともマンガに利用される舞台はないが、学校ほどそこで行われている本来の活動がスルーされる舞台もない。コメディ、スポーツ、エロマンガ…そこで描かれるのは色恋沙汰や部活動であり、授業そのものが描かれるものはほとんどない。「鈴木先生」すら主題は「思春期の悩み」であって教科ではなく、もちろん本来の授業はそっちのけ。

 

読者の方々も授業中には様々なことをやって過ごしてきた人も多いのではないか。

私はとにかくマンガを読んでいた。その中でも少年マンガは冷静に読めるのだが、少女マンガは授業中にニヤニヤしながら読んでいた記憶がある。傍から見れば、ただのヤバいやつだ。しかし、ニヤニヤは止められない。授業中に読む巻に限って、ニヤニヤするシーンが止まらなく押し寄せてくる。

楽しかったなー。あのときの少女マンガの乱読で、高校卒業後数年は少女マンガの話についていけたが、今では全く駄目である。そもそも少女マンガを読んでいない。また読み始めようかな。今読んでみたいのは「ちはやふる」。なんか賞をとっているらしいけど、おもしろいの?

もし読者の方でおススメのマンガがあったら、コメントもらえると幸いです。

 

こんな感じで「授業中というのは真面目に聞くものではなく、いかに遊ぶか。」がメインだった気がするなー。

今の子供たちはスマホなのだろうか??

しかし今思い出しても、「授業をもっとまともに聞いていればよかったなー」とは思わず、「授業中にマンガを読むのではなく、もっと他のことをしてればなー」という思いはある。

授業中にコンテンツの消費ではなく、コンテンツの創造をしておけばよかった、という後悔はあるな。例えばイラストを書く時間にあてていたら、上手くなっていただろうなー、と思ったり。

 

忘れかけていた授業の思い出を思い出せ、かつおもしろい。

ぜひ気なった方は立ち読みサイトから。

 

日本の未来も、研究論文も結局構造は同じ。

本の前書きを立ち読みしながら、ふと思ったことを備忘録的にメモ。

 

文章の構造って、極論どんなものも同じなんですね。自説を引き立たてるために、引き立たせるための材料をもってきて文章を作る。こんな簡単なことに気がつかなかった。

 

私は日本の未来や世界の未来を書いている本を好んで読むのですが、当たり前ですけどいろんな説があります。「このままいくと日本は財政破綻だ」、「日本人は世界に出ていかないと職はない」、「日本は終わりだ」といった私にとって比較的悲観に考えている論調。一方で、「財政破綻はない」、「日本人は確かに貧乏にはなっていくけど、豊かな生活は可能である」といった楽観的な論調。私は楽観的論調が好きなのですが、悲観的論調の本にも手を出してしまい、「このままの自分じゃ生き残れない」、「やばい」と焦るわけです。手を出さなきゃいいものも、ついつい気になり手を出して凹んでしまう。なんだかなー、と思うわけです。

こういうモヤモヤした思いを抱えながら読書をしてきた訳ですけど、今日、スーっと霧が晴れたような感覚に包まれました。

 

これって研究論文と非常に似ている構造じゃないか?

 

ぼくは一応、大学院生ですので、研究分野に関わる論文を読むわけです。例えばあるセラミックスを作る際には、粉から作る方法、液体から作る方法、ガスから作る方法等、いくつかの作り方があるわけです。簡単に作り方A、B、Cとしましょう。

するとAの作り方で書いている論文はAがB、Cよりも優れている方法であると書いてあるわけです。一方、Bの作り方で書いている論文はA、Cよりも優れているとなる。Cにおいても同様です。しかし、どれがいい方法かというのは結局のところわからない。確かに「この方法が一番優れてそうかも?」というのはあるんですが、その方法にもクリアすべき難しい難題があるわけです。そしてその難しい難題は、他の方法では安易にクリアしてたりするわけです。その代わり、他の問題点があるのですが...。なので中には比較をせずに書いてある論文もあります。

 

なので上記の話を日本の未来や世界の未来のそれぞれの論調に当てはめてみると、結局はどれが正しいかわからないわけです。私は今まで何に怯えていたんだろうと思いました。人間は生命の危機を感じる情報については特別なものとして考えてしまうんでしょう。とりあえず「やばい」、「なんとかしないと」といったことしか思いつかない。身近にある研究と同じ構造というのが、全く見えていませんでした。

でも別の例で考えてみると、構造はなんら変わらない。Aの作り方が実用化へ有力だと思われていても、最後のクリアすべき課題がないと実用化はない。そしてその課題は地道に解決していくしかない。その間に、Bの方法の研究も進んでいるので、もしかするとBの方法が一気に花開くことだってある。繰り返しになりますが、結局わからないのです。

 

今有力なものが、未来も有力とは限らない。

 

だから悲観的だろうが楽観的な説を信じようが、どちらも実現していない以上、実現するまではわからない。だったら自分が「いいな」と思う説を勝手に信じようかなと思えました。勝手に焦っていても仕方ない。

備えは必要かもしれないが、その備えが役に立つとは限らない。

 

そんな中、今私ができるのは、目の前のやることをとりあえず片付けること。

さぁ、とりあえず片付けようか。

 

最高に面白い対談。あっというまの2時間。日本の未来は明るいと確信。 ―【ニコ生】岡田斗司夫×神田昌典対談「世界の変わり目にフリーに生きる」

岡田斗司夫さんと神田昌典さんのニコ生での対談を、忘れないうちにレポート。

 

まずは全体の感想から。

最高におもしろかったー!!!そして日本の未来は明るすぎる!!タイムシフトでもう一回見たいね。話の展開が早いのなんの。ここまで考えを広げられる2人ってすごいな。

 

そしてキーワード等を備忘録的にメモ。

 

通貨発行権を個人がもつ時代。さらに司法権も個人がもつ時代。

 

・農業、工業等、複数の産業を少しずつ手伝うことで、情報空間の評価をため、食料等はモノでもらう。「通貨→モノ」の流れをやめ、直接モノにする。あとは情報空間の評価(通貨)で、生活をより豊かにする。評価が高い人は、生活嗜好品も安く買えたり、譲ってもらえたり、交換しやすかったりする。

仕事ではなく「おてつだい」という、ゆるい考え方。一つの仕事ではなく、複数の仕事(おてつだい)をする。手を抜きすぎると評価が下がるので、おてつだいをさせてもらえなくなる。

 

・現実世界をゲーム化する。

これは現実世界の問題をゲームのようにクエスト化し、そのクエストをクリアするために人を集める。そしてクエストをクリアしたら、その組織は解散。このれをするにあたり、クエストを作れる人が必要。クエストを作る人は、その問題点にストーリーを与え、解決した際の世界を提示できることが大事。そして特に、なるべく簡単に説明できるようにすることが大事。

 

・イメージで学ぶ。

神田さんいわく、日本人はイメージで学ぶことに長けているらしい。例として、オランダ語を勉強したことのない人にオランダ語の本を渡し、パラパラと読んでもらった後、その本から感じたイメージを書いてもらうと、30~40%の人がその本に関連するイメージが書けていた、というエピソード。

 

・日本人はマンガが言語である。

世界のマンガ家はいきなりネームを書く事が難しいらしいが、日本人は最初からネームを書く事ができるマンガ家が多い。このことから、日本人は絵と文章を同時に考えられることに長けている人種になっているのかもしれない。もっとマンガを読もうではないか。

 

・イメージの共感力が強い。

これは上記のことが理由で、日本人通しの共感力はなかなか強い。目標ができれば、その目標に向かって団結し、すごいポテンシャルを発揮する。過去をみると、戦争時代しかり、高度経済成長時代しかり。今は、「日本人はネガティブ」をいうイメージを共感してしまっている。

 

・鹿児島のある小学校のクラスに、2021年の未来を聞いたところ、10人中6人は日本から世界を出ている未来を描いていた。しかも親は鹿児島から出たことのない一般的な親らしい。

これを聞いて、子供ってすごいなーと思った。なにかを感じ取って、世界に出ていこうと思っている。ぼくが小学生の頃は、60%も世界に出ていくことを考えていなかったと思う。そしてこういう子供がいる日本なら、未来は明るい。

そしてこの子供たちは世界に出て行く理由も、お金持ちになるためではなく、「貢献したい」という未来を描いているらしい。この子供たちに先生も純粋に喜んでいて、「すごい」等の励ましの言葉を送っている。ドリームキラーではないのだ。こういう大人がより増えることで、子供はのびのびと成長していくことができるだろう。子供の素晴らしい芽を、決死して潰してはいけない。

 

・貢献がヒーロー

 

蝦夷共和国

これから北海道がおもしろくなるか??

 

・エロ通貨

まずはエロにちなんだ通貨を流通させ、地域通貨、ネット通貨の考え方を広める。ビデオデッキが普及したのは、エロが原動力となったため、「普及にはエロだ」となった。

こうすることでAV女優やキャバ嬢の社会的地位が上がるのではないかとも思っている。彼女たちの中には負い目を感じてやっている子が少なくない。ぼくは負い目は全く感じる必要はないと思っているので、彼女たちの地位が上がっていけば、とてもうれしい。だって彼女たちはぼく達男を楽しませてくれるのだ。エンターテイナーの彼女たちは、少なくとも現在のアイドル並の地位になることを望む。

 

 

こういったたくさんの考えがポンポン出ました。もうぼくの頭の中はパンク状態です。非常に楽しく勉強になった2時間だった。お二人にはまた対談してもらいたです。

 

最後にもう一度、本当におもしろかった!!ありがとうございました。

 

 

相性のいい雑誌。 -【雑誌】サイゾー 3・4合併号

雑誌、サイゾーを初めて読みました。いくつか発見があったので、それを備忘録的にentryにしました。

 公式ページもup。

日刊サイゾー

 

・イオン流通イノベーションの功罪

イオンやセブン&ホールディングスような流通業の成長で、街の商店街はシャッター通りになっている。私はこのシャッター通りの店舗を自治体が買い取り、生活保障の一環として格安漫喫を作ってはどうか、と思っている。宿泊費は1泊1000円以下に設定。この宿泊費の中にネットや電気、水道代が含まれる。シャワーブースもできるなら設置したい。銭湯のようにタオルやシャンプー等は持参でいいと思う。宿泊スペースは漫喫なので、大人が足を伸ばして寝れる程度の広さ。壁は上までにするか、カギをつけるかは検討中。正直、コインロッカーがあれば、その中に貴重品を入れればいいので、そこまでセキュリティを強化しなくてもいいような気がする。もともと金がない人が住むと思うので、窃盗の心配はほとんどしなくていいのではないかとも思っている。現在の漫喫のようなドリンクや食事のサービスはない。マンガや本の収集は寄付を募ってもいいし、ブックオフで安く買えるので、市場に多く出ているものなら安く集まってしまうだろう。図書館を併設してもいいかもしれない。むしろこれから学校が減っていくのだから、そこの本をまわしてもいい。方法はいくつかあるので、なんとかなるだろう。PCも同じ理由で集められそうな気がする。

住人が集まるパブリックスペースは必要だ。ここで集まって鍋なんてしてもいいと思う。この漫喫住宅のメリットは一人のスペースが限りなく小さいことで、多くの人数が住むことができることだと思う。私は金がなくなった場合、このぐらいの住居スペースがあれば十分だと思っている。だって寝るだけだし、ネットはあるのだ。

こうすることで、商店街に人が増えるのではないか。人が増えることで、空き店舗に飲食店や格安居酒屋ができたりして、商店街の活気が復活するのではないか、と考える。初めの内は物好きが集まってくるので、最高に楽しい空間になるような気がする。

また余分なモノを持たなくなっていいような。本を読む必要はなく、今流行の断・捨・離を強制的にできる環境である。

この生活もできない人はいると思うが、できる人の方が多い気がする。ここに住めば人との関係には困らなそうだし、むしろ楽しいような気がするんですよね。

私たちは立派な一軒家なんてなくても、十分に快適に生活できることを心の奥底では気づいているのではないだろうか。

 

 

・次のジョブズは誰だ?IT界の窮児たち

日本からはジョブズやマークザッカーバーグのような人物や、グーグルのような企業が出ないと言われるが、例えばアップルの製品には、日本の部品が使われている。日本は製品を生み出すより、こういった部品を作る技術をより高めていけばいいのではないか。新たな製品の開発は他国に任せ、その製品に使用される部品を世界最高の品質と魅力的な価格で提供する。むしろ部品の製造はニッチな産業なので、まだまだ競争力を強化できるような気がするのだが。

日本の工場の1つの例をup。

快進撃・アップル社支える「日の丸工場」の底力

 

これからタブレット端末の普及で革命が起こるのではないか、とも言われていた。その中で、ZOZOTOWNのようなファッションサイトのコンテンツとして、自分の顔をモデルに合成できるものを作るといいんじゃないかな、と感じた。私自身、このようなコンテンツがあると非常に助かる。私は本はよくネットで買うが、服は買わない。その理由として、サイズも重要だが、実際にその服を感じがわからないのが嫌なのだ。このため、ネットで服を購入するのを毎回ためらっている。なので、タブレット端末のカメラで自分の顔を撮影し、それをほしい服に合成できるようになると購買意欲が駆り立てられてしまいそうな気がする。さらに、いつもは試着もしない服もデジタル上で合成するだけなので、気軽にチャレンジしてみようと思える。試着をお願いするのも結構、億劫なのだ。

案外、コンテンツで遊ぶのが楽しすぎて、結局買わなくていいっかー、となってしまうのも否めないので、かえって逆効果か?とも考えたりする。

 

今回、初めてサイゾーを読んだが、興味をそそられる記事が多く、楽しめることができた。この雑誌は私との相性がいい。

 

来月号も購入を検討しており、さらに来月号から大リニューアルするようなので、楽しみである。

 

FREEex参加説明会@札幌に行ってきた。

岡田斗司夫さんの提唱する新たな組織形態「FREEex」の参加説明会に行ってきました。岡田さんに会うのは初めだったので、ワクワクとドキドキが入り混じった心境での参加でした。大阪や東京では何度か行っているので、FREEexの説明については省く場合もあるのですが、今回は初の北海道での説明会ということで、FREEexについて初めから丁寧に説明して頂きました。

岡田さん、FREEexスタッフの方、ありがとうございました。先にお礼をさせて頂きます。

 

まずはFREEexに関してのメモ。

FREEexとは、ある中心人物(今回の場合は岡田さん)を組織の所有物として、岡田さんの考えやコンテンツを世に広める組織のこと。組織に入った人(社員)は岡田さんと一緒に仕事をする中で、岡田さんから仕事の方法を教えてもらったり、各業界の人との打ち合わせに同席するなどして、コネクションも作れたりする。さらに岡田さんのもとで仕事をする仲間同士でも繋がりができ、家族のようになる。(岡田さんは「拡張型家族」と呼ぶ)

そしてこの組織は現在の貨幣経済社会から評価経済社会(これは岡田さんが提唱するこれからの新たな経済社会)に移行した際に標準になるであろう組織形態の実験組織である。(評価経済社会についても本ブログで今後取り上げたい)

この組織の面白いところは、中心人物である岡田さんの印税や講演収入等をフリー(無料)にしているところである。

えっ!?じゃあ岡田さんはどうやって生きてるの??ってことになるんですが、ここの部分もさらに面白い仕組みで、一緒に仕事をする社員が岡田さんに給料を払ってるんですよね。現在の多くの会社では、社長が社員に給料を払うんですけど、この組織は逆で、社員が社長に給料を払うんですよ。なので、仕事はしてもしなくてもいい。

「仕事は義務ではなく、権利である」という考え方。

なので、社長である岡田さんはこの社員からの給料で生活している感じ。そして社員は無限に増やすのではなく、現在は300人を上限としている。これは社員の顔や名前、社員それぞれを教育していくことができるギリギリの定員とのこと。この組織は仕事をするので会社のようだし、岡田さんを先生としてコンテンツの作り方を教えてもらえる学校のようだし、多くの仲間と繋がれる大家族のようでもある、不思議な組織。

今後、この組織がどうなっていくのか非常に楽しみです。

 

私自身、説明会を聞きに行く前に本を読んだり、岡田さんの公式サイトにある講演を聞いたりして勉強をしていきましたが、やっぱり実際に話を聞くと今までわからなかったことがわかったり、新たな疑問も出てきて非常におもしろかった。あっという間の説明会でした。

 

私は説明会に行くまで、評価経済社会に移行した際に食料はどのように配分されるのか、が疑問であった。評価経済社会ではお金で買うこともできるし、評価でモノを買うこともできる社会である。そのため、評価でモノを買う?物々交換になるの?といった考えが浮かんでいた。

 

岡田さんによると評価経済社会において、例えば米を購入する場合では、まず生産される米にはグレードをつける。今回はS、A、Bクラスの米が生産されると仮定。

現在ではSクラスやAクラスの米を市場に出しており、価格も一律である。これはいい米を市場に出すことが、生産者の一番利益を得ることができるためである。なので生産者は品質の良くない米(Bクラス)を食べている。

一方、評価経済社会ではS、A、Bクラスそれぞれに価格をつける。例えばSクラス:10000円、Aクラス:1000円、Bクラス:100円のように。こうすることによって、まず市場価格にバリエーションが生まれる。そしてSクラスの米は市場にほとんど出回らないと予想。さらに生産者が気に入る人(評価が高い人)にはこの価格からさらに安い特別価格にしたり、むしろタダであげてしまったりするのではないかと、岡田さんは考えている。

 

なるほどー、これなら評価が高い人はまず有利だし、今まで市場に出てこなかった米も買うことができる。Bクラスの米は現在の市場にでている米に比べると品質は落ちるが、決して食べられない米ではないと思う。むしろほんどの人がわからないのではないか。(少なくとも私はわからない気がする...)なので現在よりも安く買える米が市場に出てくるのだ。これは私たちにとっては非常にありがたい。生活費が少ない人にとっては、安い米は非常に助かる。農家の人がいい人だったらもしかすると、タダで分けてもらえる可能性だってある。今でも餓死はほとんどないが、目に見える形で「餓死はしない」ということが社会にいきわたるだろう。すると今よりも生きやすい社会になるのではないかなと思う。

 

食料供給の部分の疑問が解消されたのは大きい。これと同じ原理で、住宅も現在よりももっと価格が多様化され、借りる人の評価によっては、いい部屋でも安くなったりするだろう。

いやー、評価経済社会は理想郷ではないが、おもしろい社会だ。もっとFREEexと評価経済社会は勉強していきたいですね。

 

興味ある方は下記のサイトや、岡田さんの「評価経済社会」を読んでみてください。

岡田斗司夫公式ブログ

世の中を見る「新たな視点」を入手しよう。 ―【本】「洗脳広告代理店 電通」 苫米地英人

本著はミステリー小説なのか?いや、違う。

私が思うにノンフィクションだろう。しかし、ミステリー小説のように一気に読んでしまった。

本著は苫米地英人さんの新刊。Amazonのレビュー等で話題になっていて、私もすぐに注文したが、手元に届くまでは1週間以上かかった。Amazonにしては、非常に遅い。嘘か誠か、電通の圧力がかかっているのでは?とも言われりしていた。

本著に書かれている内容は、非常におもしろく、知的好奇心というかスキャンダル心をくすぐられる。私が衝撃を受けたのは内容自体ももちろんだが、一番は世の中を見る「新たな視点」を与えているところだ。本著を読むことで、多くの人にとって世の中を見る新たな視点が増えると思う。ある事柄を一つの視点で見ると二次元でしか見れないが、視点というカメラを増やすことで、その事柄を3次元(奥行ともいえる)、もしくはより多次元で見ることができるようになる。これにより事柄に関する意味を自分自身で選択することが可能になるのだ。

 

自分の意思で、意味を決める。

 

自分の意思は自分で決めるのだ。一方的に洗脳されてはならないと。洗脳されるなら、少なくとも自分で納得してから、洗脳されようと。(この場合は洗脳と言わないかもしれないが...)

まさに本著は、メディアの情報を無意識に取得していた私たちに、情報を選別するためのフィルターを脳内に与えてくれた。今まで脳内で情報はETCのように通過していたが、ETCではなく料金所のように一時、情報をストップして吟味できるようになった。

 

本書は「内容が正しい」、「間違っている」というのは二の次で、「新たな視点」を与えてくれるという点が、私は非常に重要であると考える。

最後になるが、著者が本書を出版することにはほとんどメリットはなかったのではないかと思っている。むしろ出版することで、著者にとってはデメリットが多いような気がする。別に本書じゃなくても苫米地さんには売れる本は書けてしまうのだから。と考えると、本書の内容は大筋正しいのではと私は思っている。

電通と苫米地さんが組んでいた場合は話は別だが、それはないだろう。

 

こうやって自分の考えが広がる本が存在するのだから、読書はやめられない。