れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

人生を見つめ直すきっかけとなる映画 -【映画】TIME/タイム

映画「TIME/タイム」を見にいきました。

全体的な感想として、すごくおもしろい、ぜひ見てほしい映画です!!私の中では2012年で見た映画、現在のところトップです。本当に面白かった。

 

まず世界観の設定がおもしろいですね。人間の成長は25歳で止まり、時間が通貨(お金)の役割を果たす世界。25歳以降、自分の体内に埋め込まれている時間の表示が"0(ゼロ)"になると死んでしまいます。この世界では労働やギャンブルをしてお金を稼ぐのではなく、「時間」を稼ぎます。そしてこの時間で自分の寿命を延ばしたり、モノを購入する。なので時間を多く持っている人は25歳の若さのまま、不老不死を手に入れるわけです。

 

この持てる者が寿命を延ばす世界は、現在、そしてこれからの世界の姿を十分に表わしていると思います。iPS細胞をはじめとする再生医療や、高度のガン治療などは富裕層はサービスを受けられますが、多くの人はサービスを受けられない。TIME/タイムの世界まで極端ではないですが、私たちが生きる世界でも、持っているものによって寿命の格差が生まれ、今後、この格差は経済格差のように広がっていくような気がします。

タイムの世界では「死のう」と思えば、時間を手に入れなければいいだけなので、死ねてしまうわけです。なので世界中すべての人間に尊厳死が与えられている世界とも見れます。

死ぬ時の苦痛がどの程度なのかは気になるところですが。

 

また私たちは労働をすることでお金を得て、食事をしたり、服を買ったり、クルマを買ったり、家を買ったりするわけですが、これはもちろん「自分の生命の時間」を使っているわけです。TIME/タイムの世界ではダイレクトにこのことがわかります。そしてもちろん現在でも、この真実はお金というもので上手く隠されていますが、実際はTIME/タイムの世界と同じように、命を消費して生活しているわけです。ですので、子育て自分の寿命を分けて育てていますし、過剰な消費も自分の寿命を縮めることに繋がります。そう考えると子育てって、「すごいなー」と思いますし、過剰な消費は「くだらないなー」と思えます。なんか親に心から感謝しました。

 

TIME/タイムの世界は生活レベルの異なるいくつかのゾーンに分かれて人々が生活しています。ここにも今私たちの世界が投影されているなー、と思えます。世界中の富裕層が住むゾーンは、現代の富裕層のことでしょう。世界を制圧しています。そして、一番最下層のスラムは今のアフリカ等の貧困国がモデルではないかと思います。アフリカの方がよりひどいような気もしますが。現在の私たち日本人は、TIME/タイムの世界で考えると富裕層のゾーンの1つか2つ下に位置していると思います。そこそこの寿命まで生きられる、世界でも恵まれた人々です。

 

印象的かつ衝撃的だったのは、主人公が言った、「1日分の時間があれば十分だ」という言葉。自分の人生を1日単位で生きている価値観。明日のことは考えず、今日を生きることに集中する心構え。私はついつい、明日も今日と同じような日々が訪れる、と思ってしまいますが、実は明日には私は世界にいないかもしれない。明日がある保証はどこにもない、ということに気が付きました。真剣に生きていないと。TIME/タイムの世界の富裕層の考え方をしていました。ただ死にたくないから、惰性で生きている。映画を見ながら、恐怖というか、焦りというか、何ともいえない気持ちが押し寄せてきましたね。

こういう気持ちを今は持っていても、結局はこれからも変わらない生き方をするかもしれない。けれど今まで気が付けなった感覚に、気がつくことができたのは大きい。生き方を見直すきっかけを与えられました。

 

最後になりますが、ヒロインの女優さんが本当に綺麗だった。ずっと目を奪われていました。

 

ぜひみなさんも見てみてください。ただ見るだけで十分面白く、さらに、収穫がある映画です。

 

科学の現状 -【本】「科学と人間の不協和音」 池内 了

本書を読んで、現状の科学に対してかかっていた、よくわからないもやもやな閉塞感の正体がつかめてきた。

本書を読んで感じたことは、研究って意外としがらみが多いのね、ということだった。

さらに本書は4/4、小飼弾さんのニコ生での 課題図書でもある。

おしらせ - 小飼弾のニコ生サイエンス「科学者はなぜUFOを信じない?~宇宙物理学者に聞く科学の"危うさ"~」

 

科学も資本主義の影響を大きく受けている、ということを今まで考えたことがなく、盲点(スコトーマ)となっていた。しかし、1度気がついてしまうと、研究費をもらうのは資本主義社会で生きている国家であり企業なのだから、これは当然のことである。

「科学は経済を発展させ、国益をもたらすものでなくてはいけない。」というのが現代の科学への要求である。そのため、多くの研究費を獲得できる研究は、短期的な視野で成果が出るものになる。現状において何に役に立つかわからない、長期的な視野が必要な研究に対してはあまり研究費が与えられないのだ。確かに短期的に成果が出る研究は重要だが、長期的に研究をして成果を出すのも同じように重要である。著者は長期的な研究を「文化の科学」と定義する。

私は多様性を重要視しているので、科学においても当然のごとく多様性を求める。しかし、研究にはお金が必要であり、そのお金は無限ではない。なので、効率のいいお金の活用(ざっくりと言えば、儲けるための活用)のためには、短期的に成果が出る研究にお金が回ってしまうのも頷ける。

 

さらに著者は科学者は過酷な競争社会を生きているという。論文を書き続けなければならないのだ。他者よりも1報でも多くの論文を執筆し、蹴落としていかないと自分の居場所が確保できない。論文を書くということは成果を出すことなので、多くの論文を書くには、短期的に成果がでる研究をせざる負えない。そして純粋に「研究をする」のではなく、「論文を書くための研究」になってしまっているのが、現状である。

また、いかに他者の研究よりも自分の研究を良く見せるか。要は他者の研究の弱点をつくかにも、エネルギーが使われている気がする。確かにこの目があることで、厳しい指摘や自分では考えてもいなかった指摘が出てくるという、いい面はある。しかし、私は多様な研究があった方がいいし、似たような研究は助けあった方がうまくいくのではないかと考えている。この考えは甘いのだろうか?

 

私は科学、研究の発展には少数の優秀な頭脳も必要だが、それよりも多くの集合知が何よりも重要だと考えている。

なので研究による特許も、「その研究が発展し、多くの人の役に立つ」ということだけを考えれば、特許はない方がいいのにな、と思う。特許を取ってしまうと、そのノウハウをグループ内だけで共有するようになる。必死で研究をしてきたグループの利権を守るには、当然の処置だと思うが、グループで抱え込んでしまうと発想が限定されてしまう恐れがある。研究をさらに発展させる上で重要なものが、他者からは見えるが、グループ内では見えないことがあるのだ。なので、これにより研究の発展のスピードが遅くなる可能性がある。自分たちの利権を守ることによって、多くの人が共有できる利益を潰してしまう可能性があるのだ。

 

そもそも私は研究者の給料は高すぎると思っている。まだ学生なので正確な給料はわからないが、ポスドクの給料は高い所だと30万円を超えるところもある。好きなことを自由にやっていて、これはもらい過ぎだろう、と思う。だったら責任のある役職には色をつけるにしろ、一般的な研究者なら高卒から大卒程度の給料でいいだろう。「博士をもっているから偉い、だから多くの給料をもらうべきだ」と要求するのは違うのではないかな、と思う。「博士をもっているし、給料も高い」というエリート意識が、企業人から「これだから博士はつかいにくい」と言われる原因の1つではないかと思っている。博士を持っているからって、何も偉くないのだ。このカットした給料分を長期的な研究の資金に回せばいいのではないか。

私は研究者と同様に、公務員も責任ある役職には色をつけるとしても、一般的な業務をする人なら、年齢が上だろうが、一律の給料(高卒から大卒程度)でいいと思っている。こうすることで、公務員の経費を多少は抑えられるのではないか?

 

著者は医療の問題にも手を伸ばす。

そもそも寿命を延ばすのはいいことなのだろうか?今の平均寿命(80歳程度)が妥当、もしくはもう少し短くなってもいいくらいだと、私は思っている。確かに死は「どうなるかわからない」という恐怖から、先延ばしにしたいのはわかる。しかし、恐怖から逃げることが目的で、果たして生きていると言えるのだろうか。

今の医療は寿命を延ばすことが目的となっているような気がする。本来ならば、目的は別にあり、その目的を達成させるための手段として、「寿命をのばすこと」があるのではないだろうか?そして、ある程度の年齢までいったら、一切、医療費には税金を投入せずに、自己負担でやってもらうようにするのが、筋だと思う。できるなら税金は、恐怖を抑えるコストではなく、子供たちに希望を与えるコストとして活用したい。

 

当事者に近い立場にいることもあるが、本書を読みながら、多くの考えが頭の中を廻り、言語化できたその1部を今吐き出してきた。清々しい気分である。非常に楽しい対話であった。

 

成熟社会、いろんなアイディアを出すことが自分たちの幸せに繋がる。 -【本】「成熟社会の経済学」 小野 善康

気づかないものに気づけた瞬間の喜びは格別である。

 私たちの経済的欲求には、家、クルマ、i Padがほしいといった消費欲求、おいしいものを食べたい、マッサージをうけたいといったサービス欲求がある。私は経済的欲求はこの2つかと思っていたが、著者はもう1つの欲求があることを提示する。

それは「お金をもつこと」という欲求である。お金は本来、消費やサービスに使うための交換ツールとしての機能しかないのだが、現在では持つことで安心する機能も付与されているというのだ。「お金」自身が高い地位をしめている。そしてこの価値観の蔓延こそが、日本の閉塞感の1つの原因であるとしている。

これを聞いて私はなるほどねー、と納得してしまった。新しい発見ができた。

 

その中で著者は、増税→政府による雇用創出→完全雇用の実現→消費の増大、といったサイクルを提示する。

ここで政府による雇用創出は従来の公共事業ではなく、介護、保育、環境、芸術、観光といった、現在、そして今後必要となるもの、より人生を豊かにさせる分野をターゲットにするものだ。しかし、私はこの考えには疑問がある。

まずは増税をしてからの雇用創出という流れである。増税をしたからといって、政府は果たして雇用創出に使うだろうか?。私は政府をそこまで信用していないので、官僚や政治家の懐に流れて終わりのような気がしてしまう。

次に雇用創出を政府が推進していくという点だ。介護や保育のような、人員が足りていなく、民間企業が参入を行っても事業にならない分野をターゲットにしているわけだが、これは規制緩和をするだけで解決すると私は思っている。市場原理にまかせるのだ。しかし、著者は市場の自由に任せると、サービスが高すぎて、現在よりもサービスが受けられない人が増えるとしている。はたしてそうであろうか?。確かに高いサービスも存在するだろう。しかし、必ず安いサービスも生まれるはずである。レストランの値段にバリエーションがあるように、介護や保育にもバリエーションは生まれてしかるべきである。そして多くの人が恩恵を受ける値段帯のサービスの質はそこそこの位置に落ち着くと私は予想する。チェーン店の料理を食べて、そんな外れがないような感じだ。ここはあえて、私のポリシーである楽観主義で考える。

そして最大の疑問は、果たして完全なる雇用は必要か?、というところにいきつく。そもそも無理やり働く場を創る必要があるのかと。だったら、働かなくてもいいんだよ、といってあげた方がいいのではないか。働きたい人は勝手に働き、その人たちの恩恵にあづかって、ギリギリで生きていく人がいてもいいのではないだろうか。そもそも私たちは、よくよく考えればほしいものは満たされているのではないか。無理やりにほしいものを探している感じ。ほしいものがないといけない、という強迫観念に曝されている可能性がある。

そして結局は企業を選ぶ必要がある訳で、必ずそこには利権が絡むだろう。政治家と仲良くした企業にお金が回るようになる。この本を読みながら、私には現在の補助金との違いがわからなかった。理解不足で申し訳ない。

そもそも税を集めてから、国民へ還元されるステップが多いのだ。ステップが多いということは、集めた資金は途中、途中でロスしていくだろう。

 

以上のように、本書を読みながら私が思ったことをつらつらと述べさせてもらった。私自身の考えを整理、そして発展させる上で非常に有意義な本であった。このような本に出会えると非常にうれしい。とても、有意義な読書であった。

 

最後に私自身の最低限必要なものを考えてみた。

すると私自身、最低限必要なものを考えてみると下記のものしかないことに気がついた。

・i Phone

・i Pad

・PC(i PadかPCのどちらかがあれば、究極はいい。しかし、どちらもほしいなー。)

・最低限の食料(三食パスタ?ww)

・ユニクロかしまむらの服を3~5セットぐらい。下着類も。(服は友達からもらうでもいいな)

・住居(実家でいいかな)

・ネットにつながる環境

以上のような感じかな。欲を言えば、大好きな本、マンガ、CDとかもほしいけど、誰かから借りることで満足しよう。本は図書館があるし。

皆さんも最低限必要なものを考えてみてはいかがだろうか?。思っている以上に、なくても大丈夫なことに気がつくかもしれない。

 

どうしようもなくやりたいことに出会いたい -【映画】マネーボール

マネーボールのDVDレンタルが開始されたので見ました。

初めは野球選手についての映画だと勘違いをしていて見るのを敬遠してたんですが、実は野球チームのマネジメントの話ということを知って、一気に見たい気持ちが高まりました。

 

やっぱりどんな業界でも従来の方法と違うことをする場合は、周りから叩かれるのが常なんだなー、と思いました。そしてこのことは日本では当たり前ですが、「アメリカでもそうなんだ」と映画を見ながら実感。勝手なイメージですけど、アメリカは新しい手法をよしとするイメージがありましたが、決してそうではなかった。

 

そしてブラット・ピット演じる主人公のGMの、自分の考えをとことん貫く姿には熱くなりました。そして、自分の考えを貫くための方法をどんどん行っていきます。主力選手ですら、戦略に合わなければ邪魔なので、トレードに出してしまう。その行動がついに身を結び、結果が出始めるシーンでは、感動してしまいました。

 

最後には、多額の給料を提示され、GMを移籍するか迷うのですが、「このチームで勝ちたい」という強い気持ちがあり、チームに残ります。このとき、この人は自分がやりたいことをわかっているんだな、と思いました。金とか地位ではなく、「自分がやることは、コレだ!」というのがわかっている。

この気持ちが自分にもほしい、と見ながら思いました。どうしようもならないぐらい、やりたいことに出あいたい。そして、やってみたい。自分は出会えるのかと、不安になるけれども、出会えることを信じている。

きっと見つかる...

 

小説もでているようなので、こちらもチェックしたいです。

タイムマシンに乗って、今の未来の素晴らしさを体感しよう -【本】「繁栄」(上)、(下) マット・リドレー

まるで本書はタイムマシンである。

なぜなら、人類の歴史をわずか数時間で体験できてしまうのだから。

 

 

下巻 p.12

歴史が伝える教訓は明々白々だ。自由交易は相互の繁栄を生むが、保護主義は貧困を生む。

 

繁栄。

そう、人類は交換と専門化を行うことで繁栄し続けてきた。後退はほとんどなく、前進である。今までも。そしてこれからも。

 

下巻 p.137

悲観主義者の誤りは、とかく自分の知っていることを基準にものを考えてしまう点にある。未来をただ過去を大きくしただけのものと考えてしまうのだ。

 

未来は現在の延長線上ではなく、確実にテクノロジーの進歩等も起こりながら、未来に向かっていくのだ。このことは人類の未来にのみ言えるのでなく、私たち個人についてもいえる。私たちはついつい今の自分の延長線上で未来を考えてしまうが、私たちだって日々何かしらの情報を入れ、変化しているのだ。

 

本書を読むと、今の時代だけでなく、どの時代も「未来は暗い」という悲観主義が蔓延してきたことがわかる。何も今だけが特別じゃない。人類にはまるで、未来を悲観的にみる遺伝子が入っているのか?、と思うぐらい、各時代の人々は悲観的に考えていた。しかし、その人々たちにとって、未来人である今の私たちが現実を暗いと思うことはなく、むしろ今の時代が人類の歴史上、一番いい!!、と思う人が多数であろう。

この事実に気づくだけでも、本書は読む価値のある本である。

 

その時代、時代に溢れていた多くの未来への悲観的見方をまとめ、その主張が現在ではどうなっているか、ということをまとめている。著者の情報の編集能力の高さには圧巻である。

 

私を含め多くの人は、なぜ人々は楽観的ではなく、悲観的な未来を描いてしまうのだろうか?

最悪を想定しておいた方が、実際に最悪な状況になったときにダメージが少ないから?

もともと人類は先のことは悲観的に考えてしまう生き物なのだろうか?

 

私は未来の不安(言い換えれば未来の恐怖)を私たちに与えておけば、権力者たちにとっていい駒として使えるからだろう、と思っている。だから、多くの人に影響を与えることのできるマスメディア使って、「未来は暗い」というネガティブな未来を私たちに植え付けてくる。

未来を不安にさせることで、頑張って働かせ、貯金をさせ、保険に加入させ、家を買わせる。未来の安心を保証する幻想を、私たちに消費させる。

 

しかし、未来が今より悪くなる確率は限りなく低いのだ。それは本書でも示すように歴史が証明をしている。

だから悲観主義ではなく、楽観主義でいこうではないか。

私たちは思ったことを現実にできる素晴らしい力をもっている。悲観的に考えていても、未来は明るく発展してしまったのだから、私たちが楽観的に、希望のある未来を描けたら、どんな素晴らしい未来を創ってしまうのだろうか。考えただけでもワクワクしてしまう。

 

さあ、それぞれ自分の思う明るい、希望のある理想の未来を創造しようではないか。あなたが理想の未来を描いた瞬間、その未来はあなたに向かってくるのだから。

 

高校生カップルは騙される? -【映画】「僕らがいた」

「僕らがいた」の映画を見ました。

予習もせず、マンガも読んだことがことがなかったので、前情報なしの段階で見に行きました。

普通に見るといい恋愛映画として見れます。もう大学を卒業した大人が見ても「いい!」と思うので、高校生が見ると、より臨場感がありすごくいい映画なのではないでしょうか。

ここでは映画の感想ではなく、映画を見ながら思ったことを備忘録的にメモします。

 

この映画は現在の高校生に向けた洗脳映画として見ることができるなー、と思いました。いくつかのシーンを解説。

1.2人で過ごす学校の屋上でのシーン

現在、学校の屋上が解放されていることはほとんどないと思います。しかし、この映画では屋上のシーンがよく出てくる。しまいには、夜の屋上から花火も見てしまう。ぼくも素直に「なんかいいな」と思ってしまいました。なぜ思ったかを考えてみると、屋上で恋人とすごすのは、禁止されている行為、絶対にできない行為だからだと思います。言い換えれば特別な行為。非日常的な行為だからこそいいな、と思う。

もしかすると「恋人とは特別な行為をするもの」という、刷り込みがあるのかもしれません。だからこそ、クリスマスのイルミネーションスポットは毎年、多くの人で溢れているのかもしれません。

 

2.指輪をおくるシーン

アクセサリーショップでかわいい指輪を見つけるシーンがあります。しかし、指輪は三万円もする。高校生には買えません。一度はあきらめるのですが、仲直りをする際に彼氏が指輪を送ります。そして仲直りをするという流れ。

これも好きな人には指輪を贈るのは当たり前、指輪をもらうことが幸せという、ことを無意識に刷り込まれます。そして愛のためなら金額も関係ない、というメッセージも含んでいます。高い指輪を買う高校生が増えますかねー。

 

3.恋人は1人にしなければならない。

主人公の男の元カノは、別の男とのドライブ中に事故にあい死んでいます。このことに対して、元カノはとても責められている。元カノが悪い、という雰囲気です。

これによって、1人の人を好きにならなければならないという刷り込みがされるなー、と。また、彼氏以外の男の人とは2人で出かけるのはよくない、とも語っているような気がします。

 

こんな感じでいくつかのシーンを解説してみました。

勘違いしないで頂きたいのは決して映画の批判ではありません。映画は見ていてニヤニヤしてしまう甘い展開が多くありました。

ですが、私自身、彼女にはこうするべきだ、デートはこういう所にいく、と思っていたことは、映画やドラマによる影響の積み重なりで形成されているということを実感しました。このメディアによる洗脳を実感できたことを書きとめておきたくて、本entryを書きました。

 

映画で結構ニヤニヤしてしまったので、マンガではもっとニヤニヤしてしまうだろうなー、と思います。今度、漫喫にいったときは読んでみようかな。

 

命を懸けた漢達の物語 -【映画】ライトスタッフ

岡田斗司夫さんがおすすめしていた映画「ライトスタッフ」を見た。(確かGayoジョッキーのひとり夜話だったような...)

ライトスタッフ - Wikipedia

 

この映画はジェット機や宇宙船のテストパイロット達の物語です。そして実際の実話でもあります。

おもしろい映画でした。3時間を超える映画だったので、見る前は「途中で飽きてしまうのでは?」と不安でしたが、全く飽きることなく最後まで見れちゃいました。

 

でてくるパイロットたちの生き方がかっこいい。安定に生きるということは考えていない。そして金でもない。

彼らが命をかけてほしいものは、誇りや名誉といったものです。自分が1番であること。

何しろ、4度やれば1度は死んでしまうほどの確率の仕事です。どんなに金をもらっても割に合わない。けれども男達は挑戦する。自分の限界を超え、誰も見たことがない風景を見るために。

 

また技術革新はこういう犠牲のもとでなりたっていることを実感。

ジェット機、飛行機しかり、自動車、原子力発電やエレベーターなど。事故が起こるから、その技術の欠陥がわかり、その欠陥を修正することでより安全になる。

科学技術はぼくたちの生活を豊かにしてくれましたが、豊かになった背景には多くの犠牲があってのこと、ということを忘れてはらない。そして、いつ自分がその犠牲者側にまわるかもわからないということを。

 

テストパイロットであるチャック・イエガーと整備士の何度かあるシーンが好きです。

 

イエガー:ガム持ってるか?

整備士:1枚ならある。

イエガー:くれないか?後で返す。

 

「後で返す」というのは、イエガーなりの仕事前の儀式なんだなーと。験担ぎのようなもの。整備士も「おう、また帰ってこいよ」みたいな感じで、気軽にガムを渡す。なんかいい関係だなーと思えました。馴れ合いの仲間ではなく、戦友という仲間。

 

この映画おすすめです。

見終わった後、熱い気持ちが湧き上がってきます。