れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

行間によって書かれた1冊 -【本】「大不況には本を読む」 橋本 治

本書を読み終わった後に思ったこと、もう1度読み返そう!

 

 

題名に直に関係するところは最後の約30ページほど。あとはその30ページのための伏線である。しかし、この伏線があるからこそ、最後の30ページがすーっと入ってくる。

 

本書の前半、と言うかほとんどは、今日までの世界の経済情勢について、著者が思うことを書き連ねたものである。この部分、著者が「自分で考えたこと」を書いている。

 

本書の中に出てくる、リーマンショックや日本のバブルのような出来事は、ネットで誰でも手に入る情報であるが、その間をつなげる言葉は著者のオリジナルである。

著者が考えた経済情勢の解釈は「あっている」、「まちがっている」が重要なのではなく、1つの主張を最後まで書いたことに大きな価値がある。本書に書いてある解釈は著者にしかできないのだから。そしてその著者の勝手な解釈を読むことに価値があり、そこで生まれる著者との対話が重要である。この対話により、著者の考えを基礎にして、自分の考えを考えることができる。

家は建ててもらって、その家にどのようなインテリアを置くか、考えるような感覚だ。

 

そして著者はこの「自分で考えること」が重要だと、とく。

著者の言葉を借りると、「書かれていない行間を読む」ということになる。

これは私の解釈であるが、これは行間の間を次はあなたの言葉でつなげましょう、ということではないだろうか?

行間を自分の勝手な考えで埋めてみよう、と著者は言っているように聞こえる。そしてその考えは、あっていようが、まちがっていようが関係ないのだ。そもそも正解などないのだから。

 

「考えたこと」に意味があり、その「考えたこと」がいつの日にか世界をよりよい方向にもっていく、1つのピースになるのではないだろうか。

 

著者は経済史の行間を読むことで、新書1冊を書いてしまうのだから。ほんと自由でいいのだ。

 

今の子どもが20歳になるとき...、ぼくは...、そして世界は...

友達がfacebookに1歳ぐらいの男の子の写真をアップしていた。

本当にかわいい、男の子。

この子が20歳になる頃、ぼくは45歳。

その頃の世界はどのようになっているだろうか?、こんなことに妄想を働かせる。

 

世界単位で見れば今よりも良くなっていることは間違いない。なので個人単位でもよりよくなっていて、ほしいと思う。

財政破綻や、失業問題のような閉塞感や恐怖が蔓延するのではなく、未来は希望で溢れ、楽観的な雰囲気をより多くの人が感じれる世界であるといい。

世界の人々がそれぞれ他人を助けあう世界。

子どもはみんな、自分の"want to"と出会え、その"want to"をとことん追求できる世界。

 

いろんな世界に希望を描いている。

 

その中でぼくができることの1つは、これから大人になる子どもたちに、"こんな大人になってもいいかも"、と思われる存在でいること。

生き方の1つのモデルを見せられる大人になりたい...

 

「見ることができない死」の存在 -【本】「特殊清掃」 特掃隊長

本書は「死」について考えさせられた本である。

死は誰にも必ず訪れ、いつ、誰に訪れるかはわからない。本書の解説を書いている、養老先生は「人間の死亡率は100%」とメッセージを世に送っている。

 

 

ブログ 特殊清掃「戦う男たち」

 http://blog.goo.ne.jp/clean110

 

著者は死を身近に感じる職業に就く1人。「特殊清掃」という、人間遺体、動物死骸、糞尿、山積みゴミなどに関係する特殊な汚染汚損を処理するという仕事に従事。著者のブログは話題だったようだが、私は本書で著者を知り、きっとあるだろうなー、と思っていたリアルでなかった仕事がリアルに変わった。

 

毎日、毎日、日本中しかり世界中には死が溢れているにも関わらず、私を含め多くの人は、死を身近に感じる状況にない。それもあってか、私たちは必ず訪れる「死」に対しては不安を感じず、とりあえず脇によけておく。そして起こるかどうだがわからない未来のこと(仕事、金銭、結婚、老後など)に多くの不安を抱いている。よく考えると不思議な思考をしているものだ。

なので、死の近くにいる著者が綴る言葉には、リアリティがあり、その言葉1つ1つに引き込まれる。

 

私は自分の死をぼんやりと考える時、必ず病院のベットの上である。そして家族の死の場合でも同じである。苦しんでいるときもあれば、穏やかに死んでいるときもある。親族がいる時もあれば、いないときもある。但し、その空想の中での私(or 家族)は、「見ることができる姿」の私なのだ。本書を読み進めながら、実は「見ることができる姿」での死は当たり前ではなく、死の1つの姿でしかない、ということがリアルになった。世の中には「見ることができない死」も多くあるのだ。これは「特殊清掃」が仕事として存在している事が裏付けである。

そして不思議と「見ることができない死」の方がリアリティを感じるのだ。これは人間の死ではなく、動物の死(処理されないことが当然の死)という認識になるからなのかもしれない。

 

この「見ることができない姿」での死のリアリティが、自分の死、そして家族、仲間の死をよりリアルにした。

「見ることができない姿」の死が存在するのは、「予想されぬ死」が存在した証でもある。本書の中では自殺のケースも多く取り上げられているが、自殺も本人にとっては予定通りの死であるが、家族にとっては「予想されぬ死」である。

 

本書を読みながら生きることに関して感じたことを言葉にすると、「今を生きるしかない」というようなありきたりな陳腐な言葉になってしまう。

しかし、読んだ本人には言語化できないぼんやりとした雲のようなものが残っている。これは何れ、言葉という雨になって降り注ぐかもしれないが、何とも言えないところである。

 

とりあえず興味がもった方はぜひ読んで頂きたい。

きっと何か感じることがあるだろう。

 

 

大学院に進学しているのは有利?そして進学を迷っている人はぜひ大学院へ

ふと朝、研究室にいくと下記のような張り紙がしてあった。

 

「○○会社への就職を希望するM2(修士2年)の学生は△△(先生の名前)のところに来るように」

 

これを読んであれ?と思った。「なぜ修士2年だけ?学部の4年生も就活だよね?4年生は必要とされてないの??」と。実際に求人も修士の方が多くきているのをふと思い出した。そう思ったら一気に考えが湧いてきたので、それを備忘録的にメモ。

 

まず前提として、「実は会社に入ってから教える本当に重要なことって、数年(1,2年)で教えられてしまうのではないか?。そして体系的な思考フレームをもつ人材を企業はほしがっている。」という仮説がある。

こう考えると、学部4年で就職する場合、思考フレームはほとんど企業の思考フレームで染まる。一方で、修士2年で就職する場合は2年間での思考フレームがあり、そこに企業の思考フレームが入り込む。このため、企業から見ると異なる思考フレームを組み込むことになる。私が思うに、体系的な思考フレームは学部4年生と修士2年生では大きな差があると思っている。少なくとも私の研究室においての、ここ3年は確実である。そして企業は1つの思考フレームよりも、多くの思考フレームがほしい。多様な思考から、画期的なアイディアを創るのだ。

 

企業にとって動くだけの人材ならば、高卒などから安い人件費で調達可能なのだ。大卒(大学院卒も含む)の採用では、こういう人材ではなくマネジメント、アイディアを出せる人材を求めていると考える。そう考えると思考フレームが優れているのは多くの場合、大学院卒になるだろう。給料だって大卒と大体2万ぐらいしか変わらない。年間にて多くて30万ぐらいだ。企業にとってつかえない人材を取ってしまうと年間200万円は軽く超えるので、確実な採用を目指すなら大学院卒をとるだろう。

企業は今後生き残るためのアイディアを出せる人材を求めている。アイディアを出すためには情報が必要である。なので、情報の取り入れ方、取り入れた情報の加工する力をもっている人材がほしい。多くの場合、学部4年生よりも修士の方が情報の取り込み方がうまい。(私がいる理系の大学の場合)

この考えを裏付けるものとして、最近の企業は志望動機を聞かず、やっている研究や雑談的なことを聞く企業が増えているように感じる。これは話す中で、その人の思考フレームを見ているのでないかと考えられる。あとは人柄(人当たりの良さや、組織内で過ごすための常識をもっているかなど)と会社の雰囲気とあうかどうかを見ているのだろう。

採用の時点でどれだけ明確な志望動機や情熱があっても、今後はどうなるかわからないことは企業は知っているのだ。なので情熱とかよりも、本当に企業に利益をもたらす人材かを判断しているのだと思う。情熱だって冷めることは知っている。自分自身でわかっているからだ。

 

また企業の多くは、採用した人材の一部は辞めることを前提に、採用人数を設定していると思う。そして辞めることにより企業にかかるコストは、社員の給料やサービス、製品の値段に反映していると考える。

 

こう考えると、現在、大卒は中途半端なのではないかと考える。

なので大学院進学で迷っている人は、進学してしまっていいのではないだろうか。あと2年ぐらいこの状況は続くのではないだろうか。むしろさらに強固になっていくと私は考えている。

 

 

日々の出来事は中立であり、意味はなく、透明である -【本】「圧倒的な価値を創る技術」 苫米地英人

日々起こる出来事に意味はなく、その出来事に意味を感じたとすると、それは自分で勝手に付けた意味である。

この世界にはポジティブな出来事も、ネガティブな出来事もなく、あるのは中立の出来事である。

出来事は着色されているのではなく、無色透明である。

 

私たちは日々の出来事に対して、自分自身で価値を付けることができし、反対に価値を下げることができる。

それを妨げているのは、スコトーマ(盲点)である。人は自分にとって重要なものにしか目がいかないし、理解もできない。

 

まさに本書は私のスコトーマを外してくれた。

大学院進学に関してここまでの意味を持たせることができるとは!そして、ニートや引きこもりに対しての意味付けもすばらしい。

正直、大学院に進学している私は本書に救われた。

本当にこの世の出来事に対する意味は、どうにでもなるということ。どんどん自分勝手に考えてしまっていい、ということの感触をつかめそうだ。もうほとんど手が届いているといっていいのかもしれない。

 

恐怖に惑わされてはいけない。未来はどうなるのかわからないのだから。

 

著者が他の書籍でも言っている「ゲシュタルト」の意味がよくわからなかったが、本書をよんで理解が深まってきた。

ゲシュタルト」とは様々な物事、情報をつなぎ合わせて、新たな価値を創造することである。

 

このタイミングで本書と出会えてよかった。

本当にそう思うが、この意味をつけているのも私が勝手にやっているだけである。

 

 

もう一度言おう、私たちの日々の出来事は「中立」であると。ただその出来事が起こっただけである。

 

 

世界中の人の視点をシェアできる時代がやってくる? -【ニュース】グーグルの拡張現実メガネ"Project Glass"

今日のニュース記事になっていた、GoogleのHDM(ヘッドマウントディスプレー)技術である"Project Glass"は衝撃的でした。

デモの動画を見たんですけど、スマートフォンの次はこのようなデバイスになるのでは?とワクワクさせるテクノロジーです。このメガネ(Project Glass)で、メール、通話、ネット、カメラ撮影、スケジュール管理と、なんでもできてしまいます。

 

グーグル、拡張現実メガネ開発を認める--「Project Glass」計画を明らかに

グーグルのHMD技術“Project Glass”が便利そうでヤバイ

 

何よりも「いいなー」と思ったのが、ネットワークに繋げることによって、世界中の人の視点を見れる可能性があること。

これによって、まず日本、そして自分の家に居ながら、世界中の人の視点を借りて、かなりリアルな旅行気分が味わえてしまうと思います。(ただし、視覚情報だけですが...)例えば、ベトナムの景色を見たいと思えば、ベトナムにいる人を検索して、その検索結果から、自分が見たい景色(人の視点)を共有する。それは人の視点から映すわけですから、かなり臨場感が高いのではないかと思います。

このようにして、家に居ながら、世界中のリアル(その時間の景色)な景色を味わうことができる。

 

またスポーツへの応用も可能です。例えば、私が好きなスノーボードだとすると、ボーダーの視点を共有すれば、まるで滑っているような臨場感が手に入れられるはずです。

 

さらにこの技術はエロにも応用可能ではないかと思っており、世界中のセックス中の風景も共有できてしまう可能性がある。これは確実にAVよりも臨場感は高いでしょう。ただし、公開したい人がいるのか?って感じですが、私は自分たちのセックスを公開したいカップルは、そこそこにいると考えます。または、それによるマネタイズも可能ではないかと。

 

ここまでは自分が視点を受信する方でしたが、もちろん自分の視点を発信することも可能です。

自分が今見ている景色、例えば今、綺麗な夕焼けを見ているなら、それを大切な人と物理空間を超えて共有することができる。これもすごくいいなと思いました。

 

ただし、ネットワークを盗聴されるとプライバシーの問題が出てきそうですが、これが実用化される頃には、私たちのネットリテラシーも高くなっていると思うので、問題ないのではないか?と楽観的に考えています。

 

ここまで、私の勝手な妄想でしたが、こういった新たなテクノロジーの発表を見ると、未来へのワクワクが止まらないです。

あー、早くこのメガネが使える日が来てほしい。

 

 

人生を見つめ直すきっかけとなる映画 -【映画】TIME/タイム

映画「TIME/タイム」を見にいきました。

全体的な感想として、すごくおもしろい、ぜひ見てほしい映画です!!私の中では2012年で見た映画、現在のところトップです。本当に面白かった。

 

まず世界観の設定がおもしろいですね。人間の成長は25歳で止まり、時間が通貨(お金)の役割を果たす世界。25歳以降、自分の体内に埋め込まれている時間の表示が"0(ゼロ)"になると死んでしまいます。この世界では労働やギャンブルをしてお金を稼ぐのではなく、「時間」を稼ぎます。そしてこの時間で自分の寿命を延ばしたり、モノを購入する。なので時間を多く持っている人は25歳の若さのまま、不老不死を手に入れるわけです。

 

この持てる者が寿命を延ばす世界は、現在、そしてこれからの世界の姿を十分に表わしていると思います。iPS細胞をはじめとする再生医療や、高度のガン治療などは富裕層はサービスを受けられますが、多くの人はサービスを受けられない。TIME/タイムの世界まで極端ではないですが、私たちが生きる世界でも、持っているものによって寿命の格差が生まれ、今後、この格差は経済格差のように広がっていくような気がします。

タイムの世界では「死のう」と思えば、時間を手に入れなければいいだけなので、死ねてしまうわけです。なので世界中すべての人間に尊厳死が与えられている世界とも見れます。

死ぬ時の苦痛がどの程度なのかは気になるところですが。

 

また私たちは労働をすることでお金を得て、食事をしたり、服を買ったり、クルマを買ったり、家を買ったりするわけですが、これはもちろん「自分の生命の時間」を使っているわけです。TIME/タイムの世界ではダイレクトにこのことがわかります。そしてもちろん現在でも、この真実はお金というもので上手く隠されていますが、実際はTIME/タイムの世界と同じように、命を消費して生活しているわけです。ですので、子育て自分の寿命を分けて育てていますし、過剰な消費も自分の寿命を縮めることに繋がります。そう考えると子育てって、「すごいなー」と思いますし、過剰な消費は「くだらないなー」と思えます。なんか親に心から感謝しました。

 

TIME/タイムの世界は生活レベルの異なるいくつかのゾーンに分かれて人々が生活しています。ここにも今私たちの世界が投影されているなー、と思えます。世界中の富裕層が住むゾーンは、現代の富裕層のことでしょう。世界を制圧しています。そして、一番最下層のスラムは今のアフリカ等の貧困国がモデルではないかと思います。アフリカの方がよりひどいような気もしますが。現在の私たち日本人は、TIME/タイムの世界で考えると富裕層のゾーンの1つか2つ下に位置していると思います。そこそこの寿命まで生きられる、世界でも恵まれた人々です。

 

印象的かつ衝撃的だったのは、主人公が言った、「1日分の時間があれば十分だ」という言葉。自分の人生を1日単位で生きている価値観。明日のことは考えず、今日を生きることに集中する心構え。私はついつい、明日も今日と同じような日々が訪れる、と思ってしまいますが、実は明日には私は世界にいないかもしれない。明日がある保証はどこにもない、ということに気が付きました。真剣に生きていないと。TIME/タイムの世界の富裕層の考え方をしていました。ただ死にたくないから、惰性で生きている。映画を見ながら、恐怖というか、焦りというか、何ともいえない気持ちが押し寄せてきましたね。

こういう気持ちを今は持っていても、結局はこれからも変わらない生き方をするかもしれない。けれど今まで気が付けなった感覚に、気がつくことができたのは大きい。生き方を見直すきっかけを与えられました。

 

最後になりますが、ヒロインの女優さんが本当に綺麗だった。ずっと目を奪われていました。

 

ぜひみなさんも見てみてください。ただ見るだけで十分面白く、さらに、収穫がある映画です。