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れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

ネットにおける「発言の重み」

気になる出来事

遅いですが、ネット上で話題になっている、佐々木俊尚さんに絡んだ広告業界の人のやりとりを見ました。

 

佐々木俊尚氏に絡む広告業界の人たち

 

ネット世界での言動と、リアル世界の言動にはもう差はない、と思わされた出来事です。ぼくは今25歳なのですが、2chのような掲示板やmixiのような内輪感が強いSNS(今はどうだか知りませんが...)にどっぷりとは浸かっていないですが、多少は利用してきました。ぼくの中ではまだネットというのは閉じた空間、なんでも吐き出せる空間というイメージが少ないながらあったんですけど、今回の件で考えが改まりました。

一昨年からtwitter、去年からfacebookを初めて、facebookでは実名、顔写真を載せています。twitterもアカウント名を実名、顔写真も載せようか迷っています。発言に責任を持とう、という思いもありました。しかし、今回の件でぼく自身、発言に対する責任感への欠如に加え、ネットを甘く見ていたなと思いました。やはりfacebooktwitterのようなプラットフォームがネットとリアルの差を一気に縮めたように思います。

 

しかし、ネットに対してネガティブな思いはなく、ポジティブな思いしかありません。やはり、影響力がある各界の著名な方々の言葉を実際に聞けるのはいいですし、コンタクトをとることもできる。これって本当にすごいことで、2年前のtwitterを使ってなかった頃って、ぼくはどのようにしてお気に入りの人の情報を集めてたっけ?と考えてしまったほど。twitterから知ることができた方々も多いですし。

facebookでは長く連絡をとっていなかった中学、高校の友達の近況を知ることができてますし。"いいね!"が気軽で、とても好き。

ブログではこうやって自分の考えを書いて、もしかするとあなたのような方に読んでもらえて、さらには後から自分の記事を検索出来てしまう。日記帳を持ち歩かなくてもいいし、どこに何を書いたのかはキーワード検索で一発。

本当にソーシャルツールには感謝しています。

 

その中で自分に対するメリットの面にだけ、光をあててきたわけなんですけども、「発言の重み」というものに対する考え方は甘かったです。本当に甘かった。

著名な方にしか「発言の重み」はないと、なぜか漠然と考えていました。しかし、そんなことはないんだと。「発言の重み」は誰にでも存在する。だからこそ自分の発言は、リアル社会で上司にいう、仲間にいう、家族にいうのと同じ重みだ。ネットは直接語りかけているわけではないので、若干、リアルの自分なら言わないようなことも言ってしまうけれど、自分の発言になる。

 

個人に対して、かつてないほどの言論の自由が与えられた分、リアル、ネットに関わらず、自分の発言には強い責任感を持たなくてはならないんだな。今の時代、ネットだからといって誹謗中傷を書くのはもってのほか。自分自身の破滅につながるということを改めて認識。

小学校、中学校でも情報リテラシーの教育は必要なんじゃないかな。まあ、トライ&エラーで学んでいくのもいいけど、なるべくなら、躓かなくていいところで躓いてほしくないからさ。

 

参考ブログ

「佐々木俊尚氏に絡んだ人たち」が本当に恐れるべきもの 青木 勇気