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神威怜司のbookメモ&思考メモです。

現在のところ原子力は必須である -【本】「反原発」の不都合な真実 藤沢 数希

 

 本書を読んで、原子力発電の重要性を再認識した。

むしろ重要ではなく、必須であろう。

本書の帯には「感情論を超えた議論のために。」と書いてあるが、まさにこの言葉とおりである。

原子力は「危険だ、危険だ」と言われるが、具体的にどのくらい、なぜ危険か、と問われるとすんなりとは答えられない。その漠然とした危険性について、著者は数々のデータを使用して説明している。そしてデータからの検証の結果、健康被害という面では火力発電の方が圧倒的に被害が大きいとしている。火力発電では化石燃料を燃やすことによる大気汚染が人体に深刻な健康被害を加えているのだ。日本において、火力発電に起因する大気汚染による年間の平均死者数は約6300人になるとしている。原子力発電は大気汚染を引き起こす有害物質をほとんど出さないので(燃料が化石燃料ではないため)、大気汚染による死者はほぼゼロであろう。健康被害を考えた場合、原子力発電よりも火力発電の方が罪が重い。

 

放射線による死者についても、今回の震災では現在のところゼロである。放射線による被害は時間が経てば経つほど、安全になるので今後死者が出る可能性は限りなく低いだろう。

そして放射線による発癌のリスクも100mSv/年以下では、影響があるかどうかが専門家の中でも意見が分かれている。この100mSv/年という値だが、受動喫煙による発癌のリスクと同程度である。日本では喫煙は法律では禁止されていないので、誰でも100mSv/年のリスクにはさらされているのである。しかし今、除染で騒がれているのは20mSv/年である。このような低線量の放射線を限りなくゼロにしようとするのは、まったくもって税金の無駄遣いというものである。これは受動喫煙で考えれば、発癌の危険性を低くするために、税金を使って街中に空気清浄器を設置するようなものである。除染の費用を復興のための予算にすればいいのにと思うのは私だけではないだろう。

 

原子力発電をやめて自然エネルギーで補おうという計画もあるが、どう考えても国土の狭い日本で日本中の電力を自然エネルギーで補うのには無理がある。土地が全然足りない。

私は自然エネルギーによるエネルギー供給を夢見ているが、この夢はまだまだほど遠い夢であることを実感した。

 

やはり現在のところ、日本だけではなく世界においても増加するエネルギー需要を満たすには原子力は必要不可欠なものである。「脱原発」をするというのは最高の贅沢なのである。経済的にみても、脱原発により原子力発電の発電量分を火力発電で補うため、化石燃料購入の追加費用が年3兆円ほど余分にかかってしまう。そしてこのコストは中東に流れる。私は追加費用の年3兆円分を脱原発を行わずに、被災地の復興のために使うことがいいと思うのだが、多くの国民は脱原発をして、追加コストを被災地ではなく中東に払いたいらしい。

 

このように金銭的にも健康にも原子力発電は優しいというのがわかる。確かに原子力の不安はある。しかし、その不安が現実になる(今回の福島のような事故)確率は今後はより低くなるのではないか。なぜなら技術はこのような事故があることで、より安全になっていくからだ。技術はトライ&エラーで向上していくのである。

この本は多くの人に読んでもらいたい。そしてその上で、原発を停止する、しない、の議論が再度されればと思う。