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れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

「好き」は才能、「つまらない」も才能。要は自分のとらえ方次第。 -【マンガ】バクマン 17巻

マンガログ

バクマンの最新刊を読みました。

ぼくがバクマンを好きな理由が読みながら、やっとわかった。

それは登場人物たちが「好きなこと(やりたいこと)をやる才能」をもっていることです。自分の好きなこと(やりたいこと)をわかって、そのことに全力で取り組んでいる。その姿に自分が憧れているんだ、ということを知りました。

好きなことをやる、好きなことがわかっている、これって才能、能力だと思います。「好き」という感情がわかり、それにどっぷりと浸かる。いや、どっぷりと浸かることで好きになるのかもしれないが。

ぼくにはどっぷりと浸かることがないのだろうか。読書はどっぷりと浸かっていると思っているが、実際のところ「好きなこと」を探すために読んでいるような気がしてならない。本に答えがあるのではないか、と思って、必死になって探している。そもそも本をどれだけ読んでも見つからないような気がするのも最近わかってきたことだ。そう思ってもやめられない。もはやぼくにとって本は麻薬だ。中毒性が強すぎる。とにかく読みたい、新しい本を読みたくて仕方がない。日々の本業よりも本を読んでいたい。ということは、本業よりも少なくとも本を読むことが好きということだ。今のぼくには本が最もプライオリティーが高い。

 

そもそも「好きなこと」は2種類に分けられる。アウトプット型の好きなことと、インプット型の好きなことである。

アウトプット型の好きなことの例として、文章を書くこと、曲を作ること、楽器を弾くこと、絵を描くこと、プログラムを書くこと、アクセサリーを作ることといったものはアウトプットをしている。世界に対して新たな価値を生み出しているのだ。だからこそ、好きなことを突き詰めていくことで、それが社会の価値を高めることに繋がる。

一方、インプット型の好きなこととは、本を読むこと、ゲームをすること、音楽を聴くこと、絵画を見ること、映画を見ることといった消費することである。社会に生み出されている価値を消費するだけ。なのでこれらはどんなに突き詰めても、社会の価値を高めることには繋がらない。ぼくの好きなことはこちら側にある。本を読んで、このようにブログを書いているが、多くの場合、やはり書くことよりも読むことを優先している。読んだ本はどんどん溜まっていくのに、アウトプットする本はなかなか増えない。小飼弾さんが言う、消化不良の状態だ。

消化不良はよくないとわかっているのに、読むことが止まらない。とにかく読んでしまうのだ。価値を生み出すことをする方が自分にとってもやりたいことだと思うのだが、価値を生み出さない消費する方を選んでしまう。ぼくの中ではインプット型の好きなことをする方が得なのだ。しかし、インプット型を続けた結果、そこまで得しているとも感じない。

むしろこうしてアウトプットしていた方が、今まで考え付かなかった発想がでてくるのだ。といことは、アウトプットは得なのか。こうしてentryを書いて、アクセス数が上がっているのを見るとテンションがあがる。小さいながらも自分が社会に対して働きかけていることを感じる。社会の知を増やしている。

 

ぼくは現在の目の前にある現実を、つまらないものとして見ようとしているのかもしれない。今ある目の前のものには価値がない、好きなことではない、というラベルを貼っているのは自分である。自分で勝手にラベルを貼って、わざわざつまらないものとしている。なぜつまらいの?、という質問をされると言葉が詰まる。つまらない理由すらあげられないのに。これは非常にもったいないことではないか? 自分の好きなこと、価値があることはもっと別のところにあると思い、必死に本を読んで探している。今、目の前にあるものと向き合っていない。やる気がない、今日は疲れた、とか理由をつけて読書に逃げているだけだ。そして実際にも探しているのではなくて、探しているフリをしていることを楽しんでいるような気がする。

 

もう探しているフリをするのはやめたい。今あるものと向き合って、その上で、好きなことか、そうでないかを判断する。このままでは好きなことを探すことに酔っているだけだ。そんなのオナニーにすぎない。

 

目の前の現実から逃げない。向きあう。

シンジ君ではないが、「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」