れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

高校生カップルは騙される? -【映画】「僕らがいた」

「僕らがいた」の映画を見ました。

予習もせず、マンガも読んだことがことがなかったので、前情報なしの段階で見に行きました。

普通に見るといい恋愛映画として見れます。もう大学を卒業した大人が見ても「いい!」と思うので、高校生が見ると、より臨場感がありすごくいい映画なのではないでしょうか。

ここでは映画の感想ではなく、映画を見ながら思ったことを備忘録的にメモします。

 

この映画は現在の高校生に向けた洗脳映画として見ることができるなー、と思いました。いくつかのシーンを解説。

1.2人で過ごす学校の屋上でのシーン

現在、学校の屋上が解放されていることはほとんどないと思います。しかし、この映画では屋上のシーンがよく出てくる。しまいには、夜の屋上から花火も見てしまう。ぼくも素直に「なんかいいな」と思ってしまいました。なぜ思ったかを考えてみると、屋上で恋人とすごすのは、禁止されている行為、絶対にできない行為だからだと思います。言い換えれば特別な行為。非日常的な行為だからこそいいな、と思う。

もしかすると「恋人とは特別な行為をするもの」という、刷り込みがあるのかもしれません。だからこそ、クリスマスのイルミネーションスポットは毎年、多くの人で溢れているのかもしれません。

 

2.指輪をおくるシーン

アクセサリーショップでかわいい指輪を見つけるシーンがあります。しかし、指輪は三万円もする。高校生には買えません。一度はあきらめるのですが、仲直りをする際に彼氏が指輪を送ります。そして仲直りをするという流れ。

これも好きな人には指輪を贈るのは当たり前、指輪をもらうことが幸せという、ことを無意識に刷り込まれます。そして愛のためなら金額も関係ない、というメッセージも含んでいます。高い指輪を買う高校生が増えますかねー。

 

3.恋人は1人にしなければならない。

主人公の男の元カノは、別の男とのドライブ中に事故にあい死んでいます。このことに対して、元カノはとても責められている。元カノが悪い、という雰囲気です。

これによって、1人の人を好きにならなければならないという刷り込みがされるなー、と。また、彼氏以外の男の人とは2人で出かけるのはよくない、とも語っているような気がします。

 

こんな感じでいくつかのシーンを解説してみました。

勘違いしないで頂きたいのは決して映画の批判ではありません。映画は見ていてニヤニヤしてしまう甘い展開が多くありました。

ですが、私自身、彼女にはこうするべきだ、デートはこういう所にいく、と思っていたことは、映画やドラマによる影響の積み重なりで形成されているということを実感しました。このメディアによる洗脳を実感できたことを書きとめておきたくて、本entryを書きました。

 

映画で結構ニヤニヤしてしまったので、マンガではもっとニヤニヤしてしまうだろうなー、と思います。今度、漫喫にいったときは読んでみようかな。