れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

科学の現状 -【本】「科学と人間の不協和音」 池内 了

本書を読んで、現状の科学に対してかかっていた、よくわからないもやもやな閉塞感の正体がつかめてきた。

本書を読んで感じたことは、研究って意外としがらみが多いのね、ということだった。

さらに本書は4/4、小飼弾さんのニコ生での 課題図書でもある。

おしらせ - 小飼弾のニコ生サイエンス「科学者はなぜUFOを信じない?~宇宙物理学者に聞く科学の"危うさ"~」

 

科学も資本主義の影響を大きく受けている、ということを今まで考えたことがなく、盲点(スコトーマ)となっていた。しかし、1度気がついてしまうと、研究費をもらうのは資本主義社会で生きている国家であり企業なのだから、これは当然のことである。

「科学は経済を発展させ、国益をもたらすものでなくてはいけない。」というのが現代の科学への要求である。そのため、多くの研究費を獲得できる研究は、短期的な視野で成果が出るものになる。現状において何に役に立つかわからない、長期的な視野が必要な研究に対してはあまり研究費が与えられないのだ。確かに短期的に成果が出る研究は重要だが、長期的に研究をして成果を出すのも同じように重要である。著者は長期的な研究を「文化の科学」と定義する。

私は多様性を重要視しているので、科学においても当然のごとく多様性を求める。しかし、研究にはお金が必要であり、そのお金は無限ではない。なので、効率のいいお金の活用(ざっくりと言えば、儲けるための活用)のためには、短期的に成果が出る研究にお金が回ってしまうのも頷ける。

 

さらに著者は科学者は過酷な競争社会を生きているという。論文を書き続けなければならないのだ。他者よりも1報でも多くの論文を執筆し、蹴落としていかないと自分の居場所が確保できない。論文を書くということは成果を出すことなので、多くの論文を書くには、短期的に成果がでる研究をせざる負えない。そして純粋に「研究をする」のではなく、「論文を書くための研究」になってしまっているのが、現状である。

また、いかに他者の研究よりも自分の研究を良く見せるか。要は他者の研究の弱点をつくかにも、エネルギーが使われている気がする。確かにこの目があることで、厳しい指摘や自分では考えてもいなかった指摘が出てくるという、いい面はある。しかし、私は多様な研究があった方がいいし、似たような研究は助けあった方がうまくいくのではないかと考えている。この考えは甘いのだろうか?

 

私は科学、研究の発展には少数の優秀な頭脳も必要だが、それよりも多くの集合知が何よりも重要だと考えている。

なので研究による特許も、「その研究が発展し、多くの人の役に立つ」ということだけを考えれば、特許はない方がいいのにな、と思う。特許を取ってしまうと、そのノウハウをグループ内だけで共有するようになる。必死で研究をしてきたグループの利権を守るには、当然の処置だと思うが、グループで抱え込んでしまうと発想が限定されてしまう恐れがある。研究をさらに発展させる上で重要なものが、他者からは見えるが、グループ内では見えないことがあるのだ。なので、これにより研究の発展のスピードが遅くなる可能性がある。自分たちの利権を守ることによって、多くの人が共有できる利益を潰してしまう可能性があるのだ。

 

そもそも私は研究者の給料は高すぎると思っている。まだ学生なので正確な給料はわからないが、ポスドクの給料は高い所だと30万円を超えるところもある。好きなことを自由にやっていて、これはもらい過ぎだろう、と思う。だったら責任のある役職には色をつけるにしろ、一般的な研究者なら高卒から大卒程度の給料でいいだろう。「博士をもっているから偉い、だから多くの給料をもらうべきだ」と要求するのは違うのではないかな、と思う。「博士をもっているし、給料も高い」というエリート意識が、企業人から「これだから博士はつかいにくい」と言われる原因の1つではないかと思っている。博士を持っているからって、何も偉くないのだ。このカットした給料分を長期的な研究の資金に回せばいいのではないか。

私は研究者と同様に、公務員も責任ある役職には色をつけるとしても、一般的な業務をする人なら、年齢が上だろうが、一律の給料(高卒から大卒程度)でいいと思っている。こうすることで、公務員の経費を多少は抑えられるのではないか?

 

著者は医療の問題にも手を伸ばす。

そもそも寿命を延ばすのはいいことなのだろうか?今の平均寿命(80歳程度)が妥当、もしくはもう少し短くなってもいいくらいだと、私は思っている。確かに死は「どうなるかわからない」という恐怖から、先延ばしにしたいのはわかる。しかし、恐怖から逃げることが目的で、果たして生きていると言えるのだろうか。

今の医療は寿命を延ばすことが目的となっているような気がする。本来ならば、目的は別にあり、その目的を達成させるための手段として、「寿命をのばすこと」があるのではないだろうか?そして、ある程度の年齢までいったら、一切、医療費には税金を投入せずに、自己負担でやってもらうようにするのが、筋だと思う。できるなら税金は、恐怖を抑えるコストではなく、子供たちに希望を与えるコストとして活用したい。

 

当事者に近い立場にいることもあるが、本書を読みながら、多くの考えが頭の中を廻り、言語化できたその1部を今吐き出してきた。清々しい気分である。非常に楽しい対話であった。