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れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

「見ることができない死」の存在 -【本】「特殊清掃」 特掃隊長

読書ログ

本書は「死」について考えさせられた本である。

死は誰にも必ず訪れ、いつ、誰に訪れるかはわからない。本書の解説を書いている、養老先生は「人間の死亡率は100%」とメッセージを世に送っている。

 

 

ブログ 特殊清掃「戦う男たち」

 http://blog.goo.ne.jp/clean110

 

著者は死を身近に感じる職業に就く1人。「特殊清掃」という、人間遺体、動物死骸、糞尿、山積みゴミなどに関係する特殊な汚染汚損を処理するという仕事に従事。著者のブログは話題だったようだが、私は本書で著者を知り、きっとあるだろうなー、と思っていたリアルでなかった仕事がリアルに変わった。

 

毎日、毎日、日本中しかり世界中には死が溢れているにも関わらず、私を含め多くの人は、死を身近に感じる状況にない。それもあってか、私たちは必ず訪れる「死」に対しては不安を感じず、とりあえず脇によけておく。そして起こるかどうだがわからない未来のこと(仕事、金銭、結婚、老後など)に多くの不安を抱いている。よく考えると不思議な思考をしているものだ。

なので、死の近くにいる著者が綴る言葉には、リアリティがあり、その言葉1つ1つに引き込まれる。

 

私は自分の死をぼんやりと考える時、必ず病院のベットの上である。そして家族の死の場合でも同じである。苦しんでいるときもあれば、穏やかに死んでいるときもある。親族がいる時もあれば、いないときもある。但し、その空想の中での私(or 家族)は、「見ることができる姿」の私なのだ。本書を読み進めながら、実は「見ることができる姿」での死は当たり前ではなく、死の1つの姿でしかない、ということがリアルになった。世の中には「見ることができない死」も多くあるのだ。これは「特殊清掃」が仕事として存在している事が裏付けである。

そして不思議と「見ることができない死」の方がリアリティを感じるのだ。これは人間の死ではなく、動物の死(処理されないことが当然の死)という認識になるからなのかもしれない。

 

この「見ることができない姿」での死のリアリティが、自分の死、そして家族、仲間の死をよりリアルにした。

「見ることができない姿」の死が存在するのは、「予想されぬ死」が存在した証でもある。本書の中では自殺のケースも多く取り上げられているが、自殺も本人にとっては予定通りの死であるが、家族にとっては「予想されぬ死」である。

 

本書を読みながら生きることに関して感じたことを言葉にすると、「今を生きるしかない」というようなありきたりな陳腐な言葉になってしまう。

しかし、読んだ本人には言語化できないぼんやりとした雲のようなものが残っている。これは何れ、言葉という雨になって降り注ぐかもしれないが、何とも言えないところである。

 

とりあえず興味がもった方はぜひ読んで頂きたい。

きっと何か感じることがあるだろう。