れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

「Noblesse Oblige。今後も救世主たらんことを」 -アニメ・東のエデンー

アニメ・東のエデンを数年ぶりに見返した。

 

Noblesse Oblige。今後も救世主たらんことを」

 

やはりこのアニメで印象に残るセリフと言ったら、このセリフだ。

 

Noblesse Obligeノブレス・オブリージュ)」

ノブレスオブリージュとは (ノブレスオブリージュとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

日本語に訳すと、「高貴なる者に伴う義務」の意になる、フランス語。この言葉は大学時代の恩師から、大学院時代に貰った言葉でもあるので、自分の中でも印象に残っている。恩師の意図と私の理解が一致していたかは、怪しい。ただ、この言葉を貰ってから5年ほどたつが、言葉を貰った当初から今の私の理解は異なっている。

 

言葉を貰った当初は、「選ばれし者の義務」的なものかな?という理解であったが、今では「自分の場所で頑張りなさい」という意味に捉えている。

自分が今いる場所は、自分が選んできた道でもあると共に、周りとの関係性によりたまたま導かれた場所でもあると思っている。この場所は自分にとって何か縁があることだと思っているのが、今の僕だ。たまたまいる役割であり、大きな不満もなければ、その役割を全うしようと思っている。

このようなことから、僕の中での「Noblesse Obligeノブレス・オブリージュ」は「自分の場所で頑張りなさい」になっている。これからまた、関係性によって意味は変わっていくかもしれないが、現状は「自分の場所で頑張りなさい」だ。

 

アニメ・東のエデンでは国を良くするために100億円を自由に使う義務がNoblesse Obligeノブレス・オブリージュ」として与えられる。

この100億円というのが、考えてみると、自由度がある程度制限された金額だなと思う。膨大な金額のように見えて、自分の欲望のために使ったとしてもすぐに使い切れるだろうし、国をよくするために使うのであれば、できることに自ずと制限が加わる金額だ。

自由度が制限されているということは、100億円を使う人間の思想が関与せざる負えないはずで、その思想の多様性が重要であると思われる。その多様性により、多くの分野の課題、歪が解消されるのではないかと、考えている。

東のエデンでは12人(正確には11人)に1人100億円ずつ渡される。選ばれたものは「クレソン」と呼ばれる。これは上記の理由から1人に1100億円与えるよりも、国を良くする可能性が高い気がする。私自身、人間1人の考えというのはたかが知れていると思っているのと同時に、1人が独裁的に政策を行ってもよい社会にはならない、と思っている。独裁的政策が有効的でない、ことについては歴史も証明している。

また、人間の思考は外部からの情報によって拡張されるので、お金の使用履歴がクレソン内で情報共有されるのもいい仕組みだな、と思った。他人のお金の使い方に自分の思考が刺激されて、これまで思いつかなかった使い道が見えてくるかもしれない。

というか、日本政府も年に10人程度クレソンを選別して、1人100億円を渡してみたらどうだろうか。日本政府でなくても、どこかの財団がやれそうな気がする。選別者は毎年変えるのがいい。選別者の方にも多様性を求めたい。

この仕組みを実施した差異には、100億円の使い道を、望むものすべに開示し、意見を求める仕組みを作るとおもしろい気がするが、破綻する感も否めない。やってみないとわからないなー。やっぱりクレソン内での共有に限定した方がいいだろうか。

 

Noblesse Obligeノブレス・オブリージュ」の意味をいろいろとネット検索したときに、考え方として共感したのがイケダハヤトさんの考え方。

 

ノブレス・オブリージュと日本人 : まだ東京で消耗してるの?

 

Noblesse Obligeノブレス・オブリージュ」の考え方が、セーフティーネットになる、というのはいいなと思った。「Noblesse Obligeノブレス・オブリージュ)」について考えている方は、ぜひ一読いただきたい。

今の時代、変化が速く、明日はどうなるかわからない時代である。レイ・カーツワイルによれば、テクノロジーの進化は指数関数的に増大していくので、これからの変化はより加速していくと言われている。指数関数的に変化する時代において、線形的な考え方をし、ゆっくりと進化してきた人類にとっては、たまたま適応できる人と適応できない人が極端に分かれていくのではないだろうか。そして、たまたま適応できた人でも永遠に適応し続けられるとは限らない。

これからの時代は、より、偶然性が高くなっていくだろう。だからこそ、公的なセーフティーネットは変えるのに多くのステップを必要とするため、よりフレキシブルなセーフティーネットがこれからの時代には求められる。その1つ考え方として、「個人」がセーフティーネット機能を担うための、Noblesse Obligeノブレス・オブリージュ」の捉え方はいいな、と感じた。

 

東のエデンを見てない方で、興味が出た方はぜひ見てみてください。

Huluでは配信しています。