れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

富の再分配よりも、まずは心の整理を。

少し日にちが経ってしまったが、2018/4/3の日本経済新聞朝刊の一面の以下の記事が興味深かった。
 

人体から宇宙まで 情報資源、世界を一変(データの世紀) 

 
この記事の中に以下の図が掲載されていて、この図を見て私は資源といった物質を扱うビジネスには限界があり、情報を扱うビジネスには物質よりも遥に尤度が高い、と感じた。
 
 
物質空間で生み出された富と、情報空間で生み出された富を同様に扱うことは、多くの人が指摘するように問題であるようにも思える。
情報空間で稼いだ金で情報空間のサービスを購入するのは物質コストがほぼゼロなので構わないが、情報空間で稼いだ金で物質世界の有限なモノを過剰に購入されてしまうと、当然のことながら物価は上がってしまう。そして物価の上昇は低所得者層の生活に直結する。
物価が上がるにつれて給料も上がっていけばよいが、業種や雇用形態によっては、中々、上手い事行かない場合もある。
 
このような中で富の再分配が重要になってくるわけであるが、再分配がされても、各個人がマインドを変えない限り、結局は今の状況と変わらないと考える。
収入が低かろうが、高かろうが、満足している人もいれば、満足できていない人もいる。なので、再分配の結果、お金をもらっても、これまでも満足していた人にとってはうれしいことだが、これまでも満足できなかった人にとっては、再分配後も不満足のままである場合が多いと思われる。
結局、再分配の資金は新たな価値を生み出している人から徴収するのだから、これでは徴収された人々が報われない。
そもそも「人並の生活」というのに実態はない。年に1回海外旅行ができればいいのか。家を購入できればいいのか。車を保有できればいいのか。週に1度、外食できればいいのか。
現在の消費社会のマインドでは求めるものに際限がない。だからこそ、富の再分配だけでは抜本的な解決にならず、マインドも変えることも加わらないと効果的でない。
 
私は日本にしか住んだことがないので、日本ことしかわからないが、日本人はもっと他人に優しくしようよ、と感じる。
生活保護者に厳しい目を向けるとか、生活保護までいかないにしろ、貧困家庭への目が厳しかったりする。大抵は大人の目から始まり、それが子供にも伝染する。
生活保護でパチンコしていてもいいじゃないか、と。それでその人がそこそこ満足している生活ができているのであればそれでいい。逆に不満が溜まって、無差別殺人とかを起こされても困る。犯罪よりはパチンコの方が平和でしょうと思う。
 
「批判する心」というのは自分の現状が「不満」で、それを吐き出す場所を求めていることで、起こる感情である。
満足している人は人を批判する気にはならない。
そもそも批判する人は批判相手よりは客観的に見れば恵まれている場合も多いのに恵まれていない人を批判をしたりする。このような人は結局、多くの富を得たところで心が満たされることはないのだと思う。
 
日本にはいい意味で階層はなかった。いや、正しくは階層を意識させてこなかったのだけれど、今、階層を感じてしまうことが多くなっている。階層が明確であると、各階層と自分の階層の位置を客観的に見れる。一方で、階層がないと思っていると、本来は手に入らないような権力やモノを無意識にほしいと思ってしまう。
 
自分のマインドをしっかりと把握するとともに、感情をコントロールしていくことが、これからの時代、特に重要になっていくと思う。