れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

読書の脅迫

なぜ本を読むのだろうか。

本を読まなくても生きていける。

新しい知識を得るため、ということは言える。

けれど新しい知識は必要なのだろうか?

「新しい知識」というのは競争を勝ち抜くための道具であり得る。僕は競争に勝ちたくて新しい知識を欲して、切迫して本をむさぼりついているのだろうか?

 

そうでない、と言いたい。

 

楽しむために本を読んでいるとも思っている。

ただ、純粋に楽しむだけか?と言われると、その通り!とは素直に言えないところだ。どうしても今読んでいる本を早く読んで、次の新しい本を読みたい。そして、さらに違う新しい本を読みたい。

 

「新しい本を読まなければ」、という僕の内から脅迫されている。読まなければ死ぬぞ、と。

 

最近読書を楽しんでいるというよりは、「読まなければならない。」と思って読んでいる。読書は強制されるものではないのに、強制されているような感じで読んでいる。純粋に楽しめなくなっている。

 

読書は娯楽である。

 

このように前は考えていた。

いつからこの考え方が変わってしまったのだろう。

 

きっと僕自身の今後の道を、本に求めているからなんだと思う。いつか道が見つかると。僕の中では本の中に道があると思っている。読み続けていく中で、見つかるはずだと。だから新しい本にどんどんと引き寄せされていく。本にすがっているのだ。

 

読書を娯楽にできるように、自分をチューニングしよう。

読書の脅迫から解放されたいと思う。

脅迫しているのは自分自身なのだが。。。

 

ファインナンスの勉強の重要性

今日は学生とファインナンスについての話で盛り上がった。

ファインナンス、とは言ったものの、立派なものではなく、簡単な家計についての話。

累進課税と家を買うための住宅ローンと奨学金ローンについて。

 

これから就職する学生にとって、給料というのは重要な指標の1つである。ただ、求人票にのっているのはあくまでも額面上で、手取りではない。なので、額面上で見ると結構貰えると思っているみたいだが、実際はそうではないのが、私を含め多くの社会人の方々が実際に直面している事実である。

私も初任給をもらったときに、あまりの税金の引かれっぷりに驚いた。そして1年目は住民税がないだけまだましだ。2年目からは住民税が引かれるのでより手取りが減る。住民税の恐ろしさは2年目の初めに知った。周りは春から初夏に向かういい雰囲気なのに、私の心はどんより雰囲気だったのを思い出す。

学生も累進課税を調べて、ざっくりと計算すると、予想よりも手取りが少なくなることに驚いていた。「これじゃあ、家を買うのはめちゃ厳しい」と。

 

ならば次は住宅ローンについて調べた。

よく言われる35年ローンで考えみた。このとき、ちきりんさんの以下の記事がざっくりと計算されていて、役に立った。

 

10年以上のローンはだめです - Chikirinの日記

 

いやー、利子の高さに驚きました。銀行にこんなに払うのかと。そして複利こわっ!とも。

単利と複利についても調べなおし、基本を理解。知れば知るほど、複利の怖さを実感。ローンは基本、複利なので、すべてのローンが恐ろしい。

 

そして最後に、学生にとっては生命線の奨学金について。奨学金も利子ありの奨学金だと、当然、複利の利子である。

しかも今は便利なことに日本学生支援機構で簡単に返済シミュレーションができてしまう。

 

奨学金貸与・返還シミュレーション-JASSO

 

これで自分が借りる総額に利子がどれぐらいついて、月どれくらい返済して、何年の返済かがざっくりとわかる。

これでも意外な利子の高さに驚いていた。利子で車変えちゃうよ、と。

 

奨学金は借りる額を考えないと結構つらい状況になることもある。奨学金の返済はニュースにもなるが、返済できない人がいるのも理解できてしまう。

奨学金を借りるときに、多少は利子とか総額を教えるようにしたほうがいいなと思ってしまった。自分で試算するべきだ、と言われてしまえばそれまでだが、やはり教えてあげることも重要だと思う。知らない上で借りるのと、知った上で借りるのではまた違う。

高校でレクチャーすればいいのになー、と思いつつ、高校にもそんな暇はないか、とも思ったり。

できる範囲で、私が関わった学生には教えていこうと思った。

 

そして本日、「Duet」が届いた。

ジャズピアニスト、上原ひろみチック・コリアのデュエットライブアルバム。昔、このCDが出始めの時に、CDショップの視聴コーナーで聞いたが、心は動かされず、購入に至らなかった。

しかし、この間youtubeでたまたま2人のライブ映像を見たところ、鳥肌が立って即、Amazonへ。そして購入。

また購入レビューを見てしまったのがいけなかった。初回限定のDVD付きで買ったほうがいい、とのレビューを読み、若干、値上がりしている初回限定を買ってしまった。

DVDはまだ見ていないけれど、CDは聞いた。というか、今、「Duet」を聞きながら文章を書いている。少し高かったけれど、買ってよかったと思っている。2人のピアノの掛け合いは素晴らしい。このままだと、より値上がっているDVDも買ってしまうぞ、と、恐ろしい思考がちらちらと出てくる。

 

買おうかなー、どうしようかなー、と思いつつ、Amazonは開かずに寝ようと思う。

 

 

デュエット(初回限定盤)(DVD付)

デュエット(初回限定盤)(DVD付)

 

 


Chick Corea & Hiromi  上原ひろみ&チックコリア

NEXT WORLDはどんな世界?

 

NHKスペシャルで放送された「NEXT WORLD」の書籍版。「NEXT WORLD」では変化が激しい今(2015年)の技術を紹介し、その30年後(2045年)の未来技術の発展が紹介される。紹介される技術は人工知能、VR・AR、ナノマシン、火星移住計画、人工臓器、若返り薬等、今ホットな技術やSFの中の技術のようなものまで多岐に渡る。

しかし、夢で終わるのではなく、夢のような技術もその種は現在すでに生み出されているのだ。私はワクワクしながら番組を見て、本書を読んだ。

本書はこれからの技術を簡単に知ることができる一冊である。本書と映像を見れば、ある1つの可能性のある未来像を知れると思う。その未来像をあり得ると思うか、バカバカしいと思うか、は読者次第であり、どちらがいい、悪いではない。

筑波大学の落合陽一氏が「魔法の世紀」というキーワードを言っているが、まさにその通り。現在では魔法と思っていることが、30年後には現実となっていて、「魔法」ではなく「技術」と言われているだろう。もしかすると「技術」とも認識されないぐらい、身近なものになっているかもしれない。

NHKスペシャルでは、未来の生活をドラマ仕立てで紹介していたが、これを見て私は控えめな未来予測だな、と感じた。最近、様々な未来技術の書籍を読んでいるが、それら書籍で紹介される技術と「NEXT WORLD」で紹介される技術はオーバーラップしていることからも、本書で紹介される技術は現実化される可能性が高いと思っている。

 

これから技術の進歩がどんどん早くなっていくと思うと、ワクワクしてしまう。

今生まれた子供たちは現在、魔法のように思われている技術を30代前後の若い時期に当たり前の技術として、使う世代となる。私から見ればうらやましい限りだが、おそらくこの世代を若く生きる人たちには、その時代での苦悩等はあるのだろう。今の私たちと同じように。

なぜなら人間の本質は現生人類が生まれた10万年前の大昔から変わっていないのだから。このことは本書の監修も行っているミチオ・カク氏の著書「2100年の科学ライフ」で、「穴居人の原理」として紹介されている。これは我々人類が穴蔵で住んでいたころから今まで変えられてない行動は、今後も変えられない行動であると言える。物質としてのモノをほしがったり、直接人と会ったり、直接生きたい場所にいったりとしたことだ。

人によっては程度の差はあるが、すべてをバーチャルで満足できる人は非常に稀だろう。今はまだバーチャルの技術は不十分という理由から満足できないこともあると思う。

しかし、もし完璧な技術ができて、そのような環境の中でバーチャルで満足できるのであれば、その人は人類の進化型だろう。ネオ人類。このような人類が生まれれば、人類は新たなステージへ進めると思う。

 

そんな人類、世代の誕生に私も立ち会ってみたいものだ。

 

NEXT WORLD 未来を生きるためのハンドブック

NEXT WORLD 未来を生きるためのハンドブック

 

 

デザイナーズベイビーとして生を受けた人間は、はたして幸せなのだろうか?

医療分野の未来テクノノジーについて調べていると、「デザイナーズベイビー」という単語を結構耳にする。近年の研究開発の進展で今世紀半ばには「デザイナーズベイビー」が実用化されるのでは?という、意見もある。

 

親の中には一定数、自分の子供をデザインしたい、と思う親もいるだろう。整った顔にする、身体的能力を向上させるなど、デザイナーズベイビーを希望する親によりいろんなデザインが考えられると思う。

デザイナーズベイビーとして生を受けた人間は、通常に生を受けた人間よりもデザインされた能力に関しては能力が高いだろう。その高い能力により、時として、デザイナーズベイビーでない人間と比較すると、優越感を感じることができるだろうが、その優越感にもそのうち慣れてしまうのではないだろうか。

 

常に勝ち続けるゲームがつまらないように。

 

また、デザイナーズベイビーがある程度、商業化されればデザイナーズベイビーの数も多くなるはずで、デザイナーズベイビー同士での競争に晒されることになる。すると、優越感を得られるデザイナーズベイビーと、そうでないデザイナーズベイビーが出てくるはずである。結局は今の我々と変わらない競争にデザイナーズベイビーも晒されることが予測される。

デザイナーズベイビーの数が少ないうちは希少性としてメリットが出てくるが、ある一定数を越えると、デザイナーズベイビーのコミュニティが形成されるはずで、そのコミュニティ内で自分の場所を確保することが、人間にとっての達成感や優越感に繋がる。

デザインされていない人間と過ごしていても、常にデザイナーズベイビーは高い能力を示すだろうから、勝ち負けと考えると常に勝っていることになる。

デザイナーズベイビーの能力がどれほどまで向上できるかはわからないが、結局、今の私たちがチンパンジーと比較して、「自分の方が優れている」と思わないように、デザイナーズベイビーにより生を受けた人間も、デザインされていない人間と比較して、優越感を得られる期間はそう長くないと推測する。

 

結局のところ、デザイナーズベイビーとして生を受けた人間も、我々と同様に、自分の能力を向上させていき、これまでできなかったことができるようになった時に、達成感を感じるのだと思う。

これは「人間」という種類に本来から備わっている原始的な欲求である。

デザイナーズベイビーの親としては、素晴らしい能力を持った子供なだけに、親としての優越感や幸福感を感じるかもしれないが、子供も同様に思うかといえば、そうではないと私は感じる。

 

なので、子供のためにデザイナーズベイビーとするのは間違いで、デザイナーズベイビーは親のためでしかなく、子供の為にはなりえない、というのが私の考えだ。

私は決してデザイナーズベイビーを否定しているわけではなく、実用化されたところで高い能力のところでの競争が生まれるだけで、その子自身の幸福にはなんら関与しないと思っている。

むしろ、デザイナーズベイビーの高い能力を自分自身の目で見てみたい気持ちもあるが、自分の子供をデザインしようとは、今の私の価値観では思わない。

 

堀江貴文氏の新刊「すべての教育は「洗脳」である」を読んで、思うこと。

堀江さんの新刊。とのことで、書店で見つけて購入してしまいました。

 

まず「すべての教育は「洗脳」である」という、タイトルがいいですねー。

本書では今の学校教育は時代に則さないものになっていて、学校教育を受けたからといって、幸せになれるものではない、というメッセージを言葉をいくつも変えながら伝えている。

今の時代の幸せは、自分基準のモノサシにより得られるもので、他人のモノサシで得られるものではないと。

そして自分基準のモノサシを見つけていくのは、興味があること、好きなことにとことん没頭することだと、言っている。

本書は教育論がメインではあるが、内容は幸福論にも通じる。

今、そしてこれからの時代においては、少なくともこれまでのステレオタイプの幸福モデルは万人の幸福論になりえない。

そもそも万人の幸福論なんてないと思うが、少し前までは「万人の幸福論」のようなものが存在した。大企業に勤め、結婚し、子供を育て、マイホームを建て、自動車を持ち、年に数回は国内外に旅行にいく。そんな生活を多くの人は望み、叶えようとがんばってきた。

そんなモデルの今は実現が難しくなり、目指すことで、むしろ幸福から遠ざかっていくようにも思える。

現在の幸福モデルは、自分で自分のやりたいことがわかっていて、そのやりたいことにとことんのめりこめることだと思う。まあ、これもモデルの1つであるが。

 

結局のところ言いたいのは、幸福のモデルは1つでなく、無数にあり、自分なりのモデルをつくり、そのモデルを少しづつ進んでいくことだと思う。

答えがある教育を受けてきた世代は、これまでに植え付けられている価値観と闘いながらの、自分なりの幸福モデルの構築になるが、できないことはない。

むしろ年齢を重ね、社会で生きている分、自分の幸福、というのがわかり易いかもしれない。

 

 

生産性の数値化は可能か??

 
昨日(2017年1月16日)の日本経済新聞の以下の記事が興味深かった。
 
日立、IoTで働き方改革へ米社と提携 職場をAI解析・助言
2017/1/16 1:31 日本経済新聞 電子版
 
近年、IoTは工場等を中心に企業が取り入れを活発化しているが、本記事はIoTを「人間」にも応用しようというものである。
記事内では机や椅子、会議室、そして人間等にセンサーを付けて、人間のオフィス内での行動データを得て、より良くオフィス環境を改善(設備のレイアウト変更)することや、
最適な作業手順を助言するなどして、社員の行動をより最適化し、業務効率の向上に役立てようとするものだ。
 
これを応用すれば、これまでブラックボックス、あるいは暗黙の了解で無視してきた、会社員一人一人の生産性も数値化できてしまう。
ただ、この方法から求められた生産性という「数値」にどれだけ意味があり、実際の結果との妥当性は定かではないものの、とりあえずの「数値化」ができてしまう。
数値化ができてしまうと、それによって順位をつけることもできてしまうわけで、人事評価等にも利用できる可能性がある。
 
生産性の数値化はある軸(例えば、机に座っている時間)と成果とを対応させることで可能になるので、成果と対応させる軸によって生産性の数値は変化する。
もし企業がIoTを使って成果を数値化する場合には、どのような評価軸を設定するのかが、とても気になるところである。
私としては、一見、非効率な行動をとるところに、人間のよさ、人間らしさがあると思っているので、生産性の数値化はしてほしくないな、と個人的には思っている。
まあ、逆に言えば、IoTによって成果が適切に数値化できてしまう仕事は、人間がするべき仕事ではなくて、「その仕事から人間が解放された」、と喜ぶべきポジティブなこととも言える。
 
人間の仕事の仕方が変わっていくことを考えさせられる記事であった。
 

センター試験の必要性

センター試験は必要ないもの、だと思っていた。
が、よくよく考えてみると、そんなこともないかも、と思えた。
 
ぼくには昨年末(2016年12月)に娘が生まれたが、娘が高校生になる頃には、センター試験は存在しないだろうな、と考えていた。
現在のセンター試験は記憶力のテストであり、知識はインターネットで検索すればすぐに得られるものだからだ。
人間はテクロノジーによって、広い意味での記憶容量を拡大している。
そのような中でのセンター試験の位置づけがわからなかった。
 
しかし、センター試験には別の側面もあるな、と思った。
 
センター試験では努力の量、勉強の量が図れる。
ただの時間としての量はもちろんであるが、効率的な知識の習得能力も含む。
 
勉強をほとんどしなくても点数を取ってしまう人ももちろんいるが、このような例は特殊なケースであって、
大体の人は、それこそ東大や医学部(国立)に入るような人は、多くの勉強をしているはずだ。
 
世の中には未だに、日々、勉強を継続しなければならない職業がある。例えば医者や官僚、研究者など。
そのような日々の勉強が必要な職業に、勉強が嫌いな人がなっていいはずがない。
医者なんて専門分野によっては人の命も預かるのだから、不勉強であっては困るのだ。
官僚だって、国民の生活にかかわることのなのだから、不勉強であっては困るのだ。
 
このような勉強への取り組む姿勢を、センター試験ではある程度評価できると思う。
 
そのため、もし20年後にも人間による医療や政治、研究開発があるのであれば、センター試験のような大きな試験は、形態は変化するにせよ存在し続けると考える。