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神威怜司のbookメモ&思考メモです。

電気自動車に期待!期待!!期待!!! -【本】「考えるクルマ」が世界を変える ウィリアム・J・ミッチェル / クリストファー・E・ボローニ=バード / ローレンス・D・バーンズ 著、室田 泰弘 訳

本書を読んで、電気自動車には期待が持てると確信した。

本書の初めに出てくる、クルマのDNAを変えるという表現がいい。自動車が世の中に普及して、約100年。著者が言うには、進歩はしているが、進化はしていない。100年間、ずっと同じDNAなのだ。そして、電気自動車が自動車のDNAを変えると明言している。

 

自動車の開発段階には、3種類の候補があったのだ。

1つは現在の自動車、内燃機関をもつものである。これは構造が複雑になり、可燃性の燃料を用い、騒音が大きく、悪臭がする排気ガスを出すことが課題であった。さらにエンジンから駆動系への動力伝達にはギアシステムが必要である。2つ目は蒸気機関をもつ自動車。この自動車は走るまでに30~45分ほどかかるのこと、50キロも走れば水の補給が必要であることが課題であった。そして、3つ目は電気自動車だったのだ。もう、自動車の開発段階から候補になっていた。しかし、バッテリーの充電に長くかかり、交換は高価で、満充電で走行できる距離が限られるとの問題があった。人々はどの推進システムが自動車交通にふさわしいのか、決めかねていた。

これらの中から、技術、製造ノウハウ、ビジネススキル、エネルギー供給体制、道路整備、公共政策、そして消費者需要がめざましく収束したため、内燃機関の自動車が主流となった。加えて、ランサム・オールズとヘンリー・フォードによって、大量生産の基盤ができ、安価になり、一般市民の多くが購入できるようになったことも、内燃機関自動車の普及の重要な要因である。

 

電気自動車はコンピューター制御ができるため、アクセルやブレーキの踏む感触を自在に変化できるらしい。ソフトをインストールすれば、軽いタッチで走ったり、踏み応えのあるタッチにもできてしまう。その日の気分によって、車を実際にいじることなく、ソフトのインストールのみでできてしまうのだ。さらに、加速の臨場感を出すためには、音響によって臨場感を高めることも検討しているようだ。

ソフトだけではなく、ハード面でも、ボディのフレームや内装、ボディの形等も、自由に決められる構想あるようだ。

まるで、自分好みのPCにするような感覚で、自動車をカスタマイズできてしまう。誰にでも簡単に自分オリジナルの自動車に乗れてしまうのだ。

 

電気自動車による都市構想では、スマートグリットによって、電気自動車も都市と接続するという構想。現在の都市には、蓄電能力はほとんどなく、発電所の運転を制御することで電力量を調節している。主に、火力発電によって制御している。この理由としては、火力発電所は起動・停止が比較的簡単にできる(原子力発電と比べて)ためである。調節もしても余ってしまう場合は、垂れ流しである。

この中で、都市に電気自動車が普及することは、蓄電池が都市中に散りばめられていることになる。都市自体が巨大な充電池になるのだ。その電池から、スマートグリットを使って、効率的に電気を配置する。電気自動車はネットに繋がっているので、各自動車の充電状況も詳細に把握可能だと思う。

著者はここで、再生可能エネルギーと電気自動車をスマートグリットでつなげる構想を打ち出しているが、この構想は現在で考えられる究極系の1つだと思う。私はこの究極系の前に、原子力エネルギーを使用するプランが入ると考えている。原子力発電による安価な夜間電力を、電気自動車に充電しておくのだ。家庭では、車を使用しない日は、車の電気から使っていけば電気代の節約にもなる。また、家庭では太陽光発電によって、電気自動車に充電しておいてもいい。余った電力は電力会社に売ってしまえばいいのだ。

太陽光発電が各家庭に安価に普及するようになれば、原子力発電を新たに新設しなくても、大丈夫になると思われる。もう日本における原子力発電の新設は厳しいと思うから、太陽光発電の普及には期待してしまう。

 

電気自動車の普及でさらに期待するのは、乗り捨て型のカーシェアリングである。車が大好きな人もいるが、「車は移動手段」と割り切っている人もいる。カーシェアリングは後者の人達向けであり、現在でも、少しずつながら都市部で行われている。

私は車は所有せずに使えればいいので、カーシェアリングの普及を強く望んでいる。自動運転機能が一般化すれば、自分の場所まで車が迎えにきてくれるのだ。なんてすばらしい!さらに、ネットにつながっているので、空いている車を、レンタルカーがない地域へ配置させておくことが可能であり、これにより私たちは乗りたい時に少ない待ち時間で乗れるようになる。

 

さらに期待していることもあって、自動運転が可能になれば、荷物の配達もすべて自動でできてしまう。荷物を乗せた小型車が家の前まで届けてくれて、着いたらケイタイやPCに連絡をくれるシステムを構築できる。運送業の労働から私たちは解放されるのだ。そして、運送業の人材を他の必要な産業にまわすことができる。

 

電気自動車は今後、私たちの生活を便利にするキーアイテムの1つであると思う。