れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

原子力発電自身は中立である。 -【本】「原発大崩壊!」 武田 邦彦

原発の本だと思って読んでみたら、予想とは違う内容だった。著者は今回の福島で起きた原子力発電事故をずっと警告し続けただけに、今回の事故は本当にやるせない気持ちであろう。

この本では何度も警告されている「原子力発電は安全」であるというウソ。これは原子力発電のシステムが安全なのではなく、システムの中の1つである原子炉が安全に設計されていることだ。しかし、その周りの機器は耐震にも弱く、津波の被害で機能しなくなってしまうのだ。この問題は指摘されながらも、ないがしろにされてきたのが事実なのだ。著者はこの問題は福島だけではなく、全国の原発にもあてはまることとしている。

確かに今回の事故により、日本の原子力発電の問題点が浮き彫りになった。事故が起こらないことが何よりだったが、起こったことで明らかになり、今後より安全性が高まるきっかけになったことは皮肉であるが、よかったこととも考えられるだろう。電源の周波数が西日本と東日本で異なることなんて、多くの人が知らなかったのではないだろうか。少なくとも私は知らなかった。また、燃料ペレットをまとめる被覆管にはジルカロイ合金というZr系の合金が使われているのだが、今回の水素爆発はこのジルカロイ合金が高温で反応してしまい水素を出したことが起因となっている。この水素を出す問題点も、専門家の間ではわかっていたことだが、他に画期的な代替材料もないことから今まで使用されてきた。

以上のように専門家の間では問題が多くあった原子力発電だったが、それを黙認してきた結果が今回の事故だったのだ。著者は絶対に安全でなければ原発を運転してはいけないと主張するが、私は技術には絶対安全はないと思っているので、どこまで安全性を求めるかを経済コストとあわせながら決めていくべきだろうと考えている。

 

私は原子力はなくなってもいいとも思っているが、原子力発電をやめたことによる火力発電の運転の増加が非常に気になる。それは火力発電に起因する大気汚染による健康被害が無視できないものと考えるからだ。これは原子力発電で事故が起こった時の健康被害(発がん率の増加)よりも深刻だ。そして、原子力発電の事故は年1回もないが、火力発電による健康被害は毎年であり、それは増加傾向にある。私は何冊かの本を読んできた今でも、原子力はおこなっていく発電であると思っているのは、この理由によるものが強い。人命という面で、歴史の上では原子力発電よりも火力発電の方が多くの人命を奪っているのだ。

だからこそ、現在の原子力で数10%の電力をまかなっている間に、原子力の安全性の向上に加え、次世代エネルギー(高速増殖炉核融合炉)や再生可能エネルギーで画期的なイノベーションが出てくることを期待する。さらに使用済み燃料等の放射性廃棄物の処理技術の研究も進んでいけばと思う。

 

この本で個人的に勉強になったことは、減速材に重水を使う理由を思い出せたことだ。重水というのは質量数の大きい同位体の水分子を多く含んでいる水だ。現在、世界中の原子力発電の大半は「軽水炉」と呼ばれており、減速材に一般的な水を使用している。しかし、カナダのキャンドゥ―炉では重水を使用している。これは重水を使用することで、燃料として用いているウランを非濃縮のまま使用できるメリットがあるのだ。天然ウランには燃えるウランと呼ばれるウラン235が0.7%含まれているが、軽水炉で使用する際にはこの濃度では効率的に燃えてくれないため、ウラン235を3%程度まで濃縮して使用している。

いやー、忘れていたことを勉強できてよかった。

 

これまで何冊かの本を読んで思うことは、完璧な技術というのは存在しないということ。そして人命、経済性等のどの項目を優先するかで、ある技術のよい、悪いが決まる。だからこそ、感情論ではなくデータを見て、自分で判断していくしかない。この判断を多くの人がすれば、必然と日本において原子力発電は続けていくのか、やめるべきなのかが決まっていくと思う。ニュース等からでは偏った情報しか得られないのは問題である。だが、ネットの情報も人により得る情報に偏りがでてしまうのも否めない。私はどちらかというと、推進派よりの情報を多くえているし、このようなentryもどちらかというと、推進派よりの内容になっている。

今後、原子力だけではなく、再生可能エネルギーの方も積極的に勉強していこうと思っている。