れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

センター試験の必要性

センター試験は必要ないもの、だと思っていた。
が、よくよく考えてみると、そんなこともないかも、と思えた。
 
ぼくには昨年末(2016年12月)に娘が生まれたが、娘が高校生になる頃には、センター試験は存在しないだろうな、と考えていた。
現在のセンター試験は記憶力のテストであり、知識はインターネットで検索すればすぐに得られるものだからだ。
人間はテクロノジーによって、広い意味での記憶容量を拡大している。
そのような中でのセンター試験の位置づけがわからなかった。
 
しかし、センター試験には別の側面もあるな、と思った。
 
センター試験では努力の量、勉強の量が図れる。
ただの時間としての量はもちろんであるが、効率的な知識の習得能力も含む。
 
勉強をほとんどしなくても点数を取ってしまう人ももちろんいるが、このような例は特殊なケースであって、
大体の人は、それこそ東大や医学部(国立)に入るような人は、多くの勉強をしているはずだ。
 
世の中には未だに、日々、勉強を継続しなければならない職業がある。例えば医者や官僚、研究者など。
そのような日々の勉強が必要な職業に、勉強が嫌いな人がなっていいはずがない。
医者なんて専門分野によっては人の命も預かるのだから、不勉強であっては困るのだ。
官僚だって、国民の生活にかかわることのなのだから、不勉強であっては困るのだ。
 
このような勉強への取り組む姿勢を、センター試験ではある程度評価できると思う。
 
そのため、もし20年後にも人間による医療や政治、研究開発があるのであれば、センター試験のような大きな試験は、形態は変化するにせよ存在し続けると考える。