れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

大学院に進学しているのは有利?そして進学を迷っている人はぜひ大学院へ

ふと朝、研究室にいくと下記のような張り紙がしてあった。

 

「○○会社への就職を希望するM2(修士2年)の学生は△△(先生の名前)のところに来るように」

 

これを読んであれ?と思った。「なぜ修士2年だけ?学部の4年生も就活だよね?4年生は必要とされてないの??」と。実際に求人も修士の方が多くきているのをふと思い出した。そう思ったら一気に考えが湧いてきたので、それを備忘録的にメモ。

 

まず前提として、「実は会社に入ってから教える本当に重要なことって、数年(1,2年)で教えられてしまうのではないか?。そして体系的な思考フレームをもつ人材を企業はほしがっている。」という仮説がある。

こう考えると、学部4年で就職する場合、思考フレームはほとんど企業の思考フレームで染まる。一方で、修士2年で就職する場合は2年間での思考フレームがあり、そこに企業の思考フレームが入り込む。このため、企業から見ると異なる思考フレームを組み込むことになる。私が思うに、体系的な思考フレームは学部4年生と修士2年生では大きな差があると思っている。少なくとも私の研究室においての、ここ3年は確実である。そして企業は1つの思考フレームよりも、多くの思考フレームがほしい。多様な思考から、画期的なアイディアを創るのだ。

 

企業にとって動くだけの人材ならば、高卒などから安い人件費で調達可能なのだ。大卒(大学院卒も含む)の採用では、こういう人材ではなくマネジメント、アイディアを出せる人材を求めていると考える。そう考えると思考フレームが優れているのは多くの場合、大学院卒になるだろう。給料だって大卒と大体2万ぐらいしか変わらない。年間にて多くて30万ぐらいだ。企業にとってつかえない人材を取ってしまうと年間200万円は軽く超えるので、確実な採用を目指すなら大学院卒をとるだろう。

企業は今後生き残るためのアイディアを出せる人材を求めている。アイディアを出すためには情報が必要である。なので、情報の取り入れ方、取り入れた情報の加工する力をもっている人材がほしい。多くの場合、学部4年生よりも修士の方が情報の取り込み方がうまい。(私がいる理系の大学の場合)

この考えを裏付けるものとして、最近の企業は志望動機を聞かず、やっている研究や雑談的なことを聞く企業が増えているように感じる。これは話す中で、その人の思考フレームを見ているのでないかと考えられる。あとは人柄(人当たりの良さや、組織内で過ごすための常識をもっているかなど)と会社の雰囲気とあうかどうかを見ているのだろう。

採用の時点でどれだけ明確な志望動機や情熱があっても、今後はどうなるかわからないことは企業は知っているのだ。なので情熱とかよりも、本当に企業に利益をもたらす人材かを判断しているのだと思う。情熱だって冷めることは知っている。自分自身でわかっているからだ。

 

また企業の多くは、採用した人材の一部は辞めることを前提に、採用人数を設定していると思う。そして辞めることにより企業にかかるコストは、社員の給料やサービス、製品の値段に反映していると考える。

 

こう考えると、現在、大卒は中途半端なのではないかと考える。

なので大学院進学で迷っている人は、進学してしまっていいのではないだろうか。あと2年ぐらいこの状況は続くのではないだろうか。むしろさらに強固になっていくと私は考えている。

 

 

日々の出来事は中立であり、意味はなく、透明である -【本】「圧倒的な価値を創る技術」 苫米地英人

日々起こる出来事に意味はなく、その出来事に意味を感じたとすると、それは自分で勝手に付けた意味である。

この世界にはポジティブな出来事も、ネガティブな出来事もなく、あるのは中立の出来事である。

出来事は着色されているのではなく、無色透明である。

 

私たちは日々の出来事に対して、自分自身で価値を付けることができし、反対に価値を下げることができる。

それを妨げているのは、スコトーマ(盲点)である。人は自分にとって重要なものにしか目がいかないし、理解もできない。

 

まさに本書は私のスコトーマを外してくれた。

大学院進学に関してここまでの意味を持たせることができるとは!そして、ニートや引きこもりに対しての意味付けもすばらしい。

正直、大学院に進学している私は本書に救われた。

本当にこの世の出来事に対する意味は、どうにでもなるということ。どんどん自分勝手に考えてしまっていい、ということの感触をつかめそうだ。もうほとんど手が届いているといっていいのかもしれない。

 

恐怖に惑わされてはいけない。未来はどうなるのかわからないのだから。

 

著者が他の書籍でも言っている「ゲシュタルト」の意味がよくわからなかったが、本書をよんで理解が深まってきた。

ゲシュタルト」とは様々な物事、情報をつなぎ合わせて、新たな価値を創造することである。

 

このタイミングで本書と出会えてよかった。

本当にそう思うが、この意味をつけているのも私が勝手にやっているだけである。

 

 

もう一度言おう、私たちの日々の出来事は「中立」であると。ただその出来事が起こっただけである。

 

 

世界中の人の視点をシェアできる時代がやってくる? -【ニュース】グーグルの拡張現実メガネ"Project Glass"

今日のニュース記事になっていた、GoogleのHDM(ヘッドマウントディスプレー)技術である"Project Glass"は衝撃的でした。

デモの動画を見たんですけど、スマートフォンの次はこのようなデバイスになるのでは?とワクワクさせるテクノロジーです。このメガネ(Project Glass)で、メール、通話、ネット、カメラ撮影、スケジュール管理と、なんでもできてしまいます。

 

グーグル、拡張現実メガネ開発を認める--「Project Glass」計画を明らかに

グーグルのHMD技術“Project Glass”が便利そうでヤバイ

 

何よりも「いいなー」と思ったのが、ネットワークに繋げることによって、世界中の人の視点を見れる可能性があること。

これによって、まず日本、そして自分の家に居ながら、世界中の人の視点を借りて、かなりリアルな旅行気分が味わえてしまうと思います。(ただし、視覚情報だけですが...)例えば、ベトナムの景色を見たいと思えば、ベトナムにいる人を検索して、その検索結果から、自分が見たい景色(人の視点)を共有する。それは人の視点から映すわけですから、かなり臨場感が高いのではないかと思います。

このようにして、家に居ながら、世界中のリアル(その時間の景色)な景色を味わうことができる。

 

またスポーツへの応用も可能です。例えば、私が好きなスノーボードだとすると、ボーダーの視点を共有すれば、まるで滑っているような臨場感が手に入れられるはずです。

 

さらにこの技術はエロにも応用可能ではないかと思っており、世界中のセックス中の風景も共有できてしまう可能性がある。これは確実にAVよりも臨場感は高いでしょう。ただし、公開したい人がいるのか?って感じですが、私は自分たちのセックスを公開したいカップルは、そこそこにいると考えます。または、それによるマネタイズも可能ではないかと。

 

ここまでは自分が視点を受信する方でしたが、もちろん自分の視点を発信することも可能です。

自分が今見ている景色、例えば今、綺麗な夕焼けを見ているなら、それを大切な人と物理空間を超えて共有することができる。これもすごくいいなと思いました。

 

ただし、ネットワークを盗聴されるとプライバシーの問題が出てきそうですが、これが実用化される頃には、私たちのネットリテラシーも高くなっていると思うので、問題ないのではないか?と楽観的に考えています。

 

ここまで、私の勝手な妄想でしたが、こういった新たなテクノロジーの発表を見ると、未来へのワクワクが止まらないです。

あー、早くこのメガネが使える日が来てほしい。

 

 

人生を見つめ直すきっかけとなる映画 -【映画】TIME/タイム

映画「TIME/タイム」を見にいきました。

全体的な感想として、すごくおもしろい、ぜひ見てほしい映画です!!私の中では2012年で見た映画、現在のところトップです。本当に面白かった。

 

まず世界観の設定がおもしろいですね。人間の成長は25歳で止まり、時間が通貨(お金)の役割を果たす世界。25歳以降、自分の体内に埋め込まれている時間の表示が"0(ゼロ)"になると死んでしまいます。この世界では労働やギャンブルをしてお金を稼ぐのではなく、「時間」を稼ぎます。そしてこの時間で自分の寿命を延ばしたり、モノを購入する。なので時間を多く持っている人は25歳の若さのまま、不老不死を手に入れるわけです。

 

この持てる者が寿命を延ばす世界は、現在、そしてこれからの世界の姿を十分に表わしていると思います。iPS細胞をはじめとする再生医療や、高度のガン治療などは富裕層はサービスを受けられますが、多くの人はサービスを受けられない。TIME/タイムの世界まで極端ではないですが、私たちが生きる世界でも、持っているものによって寿命の格差が生まれ、今後、この格差は経済格差のように広がっていくような気がします。

タイムの世界では「死のう」と思えば、時間を手に入れなければいいだけなので、死ねてしまうわけです。なので世界中すべての人間に尊厳死が与えられている世界とも見れます。

死ぬ時の苦痛がどの程度なのかは気になるところですが。

 

また私たちは労働をすることでお金を得て、食事をしたり、服を買ったり、クルマを買ったり、家を買ったりするわけですが、これはもちろん「自分の生命の時間」を使っているわけです。TIME/タイムの世界ではダイレクトにこのことがわかります。そしてもちろん現在でも、この真実はお金というもので上手く隠されていますが、実際はTIME/タイムの世界と同じように、命を消費して生活しているわけです。ですので、子育て自分の寿命を分けて育てていますし、過剰な消費も自分の寿命を縮めることに繋がります。そう考えると子育てって、「すごいなー」と思いますし、過剰な消費は「くだらないなー」と思えます。なんか親に心から感謝しました。

 

TIME/タイムの世界は生活レベルの異なるいくつかのゾーンに分かれて人々が生活しています。ここにも今私たちの世界が投影されているなー、と思えます。世界中の富裕層が住むゾーンは、現代の富裕層のことでしょう。世界を制圧しています。そして、一番最下層のスラムは今のアフリカ等の貧困国がモデルではないかと思います。アフリカの方がよりひどいような気もしますが。現在の私たち日本人は、TIME/タイムの世界で考えると富裕層のゾーンの1つか2つ下に位置していると思います。そこそこの寿命まで生きられる、世界でも恵まれた人々です。

 

印象的かつ衝撃的だったのは、主人公が言った、「1日分の時間があれば十分だ」という言葉。自分の人生を1日単位で生きている価値観。明日のことは考えず、今日を生きることに集中する心構え。私はついつい、明日も今日と同じような日々が訪れる、と思ってしまいますが、実は明日には私は世界にいないかもしれない。明日がある保証はどこにもない、ということに気が付きました。真剣に生きていないと。TIME/タイムの世界の富裕層の考え方をしていました。ただ死にたくないから、惰性で生きている。映画を見ながら、恐怖というか、焦りというか、何ともいえない気持ちが押し寄せてきましたね。

こういう気持ちを今は持っていても、結局はこれからも変わらない生き方をするかもしれない。けれど今まで気が付けなった感覚に、気がつくことができたのは大きい。生き方を見直すきっかけを与えられました。

 

最後になりますが、ヒロインの女優さんが本当に綺麗だった。ずっと目を奪われていました。

 

ぜひみなさんも見てみてください。ただ見るだけで十分面白く、さらに、収穫がある映画です。

 

科学の現状 -【本】「科学と人間の不協和音」 池内 了

本書を読んで、現状の科学に対してかかっていた、よくわからないもやもやな閉塞感の正体がつかめてきた。

本書を読んで感じたことは、研究って意外としがらみが多いのね、ということだった。

さらに本書は4/4、小飼弾さんのニコ生での 課題図書でもある。

おしらせ - 小飼弾のニコ生サイエンス「科学者はなぜUFOを信じない?~宇宙物理学者に聞く科学の"危うさ"~」

 

科学も資本主義の影響を大きく受けている、ということを今まで考えたことがなく、盲点(スコトーマ)となっていた。しかし、1度気がついてしまうと、研究費をもらうのは資本主義社会で生きている国家であり企業なのだから、これは当然のことである。

「科学は経済を発展させ、国益をもたらすものでなくてはいけない。」というのが現代の科学への要求である。そのため、多くの研究費を獲得できる研究は、短期的な視野で成果が出るものになる。現状において何に役に立つかわからない、長期的な視野が必要な研究に対してはあまり研究費が与えられないのだ。確かに短期的に成果が出る研究は重要だが、長期的に研究をして成果を出すのも同じように重要である。著者は長期的な研究を「文化の科学」と定義する。

私は多様性を重要視しているので、科学においても当然のごとく多様性を求める。しかし、研究にはお金が必要であり、そのお金は無限ではない。なので、効率のいいお金の活用(ざっくりと言えば、儲けるための活用)のためには、短期的に成果が出る研究にお金が回ってしまうのも頷ける。

 

さらに著者は科学者は過酷な競争社会を生きているという。論文を書き続けなければならないのだ。他者よりも1報でも多くの論文を執筆し、蹴落としていかないと自分の居場所が確保できない。論文を書くということは成果を出すことなので、多くの論文を書くには、短期的に成果がでる研究をせざる負えない。そして純粋に「研究をする」のではなく、「論文を書くための研究」になってしまっているのが、現状である。

また、いかに他者の研究よりも自分の研究を良く見せるか。要は他者の研究の弱点をつくかにも、エネルギーが使われている気がする。確かにこの目があることで、厳しい指摘や自分では考えてもいなかった指摘が出てくるという、いい面はある。しかし、私は多様な研究があった方がいいし、似たような研究は助けあった方がうまくいくのではないかと考えている。この考えは甘いのだろうか?

 

私は科学、研究の発展には少数の優秀な頭脳も必要だが、それよりも多くの集合知が何よりも重要だと考えている。

なので研究による特許も、「その研究が発展し、多くの人の役に立つ」ということだけを考えれば、特許はない方がいいのにな、と思う。特許を取ってしまうと、そのノウハウをグループ内だけで共有するようになる。必死で研究をしてきたグループの利権を守るには、当然の処置だと思うが、グループで抱え込んでしまうと発想が限定されてしまう恐れがある。研究をさらに発展させる上で重要なものが、他者からは見えるが、グループ内では見えないことがあるのだ。なので、これにより研究の発展のスピードが遅くなる可能性がある。自分たちの利権を守ることによって、多くの人が共有できる利益を潰してしまう可能性があるのだ。

 

そもそも私は研究者の給料は高すぎると思っている。まだ学生なので正確な給料はわからないが、ポスドクの給料は高い所だと30万円を超えるところもある。好きなことを自由にやっていて、これはもらい過ぎだろう、と思う。だったら責任のある役職には色をつけるにしろ、一般的な研究者なら高卒から大卒程度の給料でいいだろう。「博士をもっているから偉い、だから多くの給料をもらうべきだ」と要求するのは違うのではないかな、と思う。「博士をもっているし、給料も高い」というエリート意識が、企業人から「これだから博士はつかいにくい」と言われる原因の1つではないかと思っている。博士を持っているからって、何も偉くないのだ。このカットした給料分を長期的な研究の資金に回せばいいのではないか。

私は研究者と同様に、公務員も責任ある役職には色をつけるとしても、一般的な業務をする人なら、年齢が上だろうが、一律の給料(高卒から大卒程度)でいいと思っている。こうすることで、公務員の経費を多少は抑えられるのではないか?

 

著者は医療の問題にも手を伸ばす。

そもそも寿命を延ばすのはいいことなのだろうか?今の平均寿命(80歳程度)が妥当、もしくはもう少し短くなってもいいくらいだと、私は思っている。確かに死は「どうなるかわからない」という恐怖から、先延ばしにしたいのはわかる。しかし、恐怖から逃げることが目的で、果たして生きていると言えるのだろうか。

今の医療は寿命を延ばすことが目的となっているような気がする。本来ならば、目的は別にあり、その目的を達成させるための手段として、「寿命をのばすこと」があるのではないだろうか?そして、ある程度の年齢までいったら、一切、医療費には税金を投入せずに、自己負担でやってもらうようにするのが、筋だと思う。できるなら税金は、恐怖を抑えるコストではなく、子供たちに希望を与えるコストとして活用したい。

 

当事者に近い立場にいることもあるが、本書を読みながら、多くの考えが頭の中を廻り、言語化できたその1部を今吐き出してきた。清々しい気分である。非常に楽しい対話であった。

 

成熟社会、いろんなアイディアを出すことが自分たちの幸せに繋がる。 -【本】「成熟社会の経済学」 小野 善康

気づかないものに気づけた瞬間の喜びは格別である。

 私たちの経済的欲求には、家、クルマ、i Padがほしいといった消費欲求、おいしいものを食べたい、マッサージをうけたいといったサービス欲求がある。私は経済的欲求はこの2つかと思っていたが、著者はもう1つの欲求があることを提示する。

それは「お金をもつこと」という欲求である。お金は本来、消費やサービスに使うための交換ツールとしての機能しかないのだが、現在では持つことで安心する機能も付与されているというのだ。「お金」自身が高い地位をしめている。そしてこの価値観の蔓延こそが、日本の閉塞感の1つの原因であるとしている。

これを聞いて私はなるほどねー、と納得してしまった。新しい発見ができた。

 

その中で著者は、増税→政府による雇用創出→完全雇用の実現→消費の増大、といったサイクルを提示する。

ここで政府による雇用創出は従来の公共事業ではなく、介護、保育、環境、芸術、観光といった、現在、そして今後必要となるもの、より人生を豊かにさせる分野をターゲットにするものだ。しかし、私はこの考えには疑問がある。

まずは増税をしてからの雇用創出という流れである。増税をしたからといって、政府は果たして雇用創出に使うだろうか?。私は政府をそこまで信用していないので、官僚や政治家の懐に流れて終わりのような気がしてしまう。

次に雇用創出を政府が推進していくという点だ。介護や保育のような、人員が足りていなく、民間企業が参入を行っても事業にならない分野をターゲットにしているわけだが、これは規制緩和をするだけで解決すると私は思っている。市場原理にまかせるのだ。しかし、著者は市場の自由に任せると、サービスが高すぎて、現在よりもサービスが受けられない人が増えるとしている。はたしてそうであろうか?。確かに高いサービスも存在するだろう。しかし、必ず安いサービスも生まれるはずである。レストランの値段にバリエーションがあるように、介護や保育にもバリエーションは生まれてしかるべきである。そして多くの人が恩恵を受ける値段帯のサービスの質はそこそこの位置に落ち着くと私は予想する。チェーン店の料理を食べて、そんな外れがないような感じだ。ここはあえて、私のポリシーである楽観主義で考える。

そして最大の疑問は、果たして完全なる雇用は必要か?、というところにいきつく。そもそも無理やり働く場を創る必要があるのかと。だったら、働かなくてもいいんだよ、といってあげた方がいいのではないか。働きたい人は勝手に働き、その人たちの恩恵にあづかって、ギリギリで生きていく人がいてもいいのではないだろうか。そもそも私たちは、よくよく考えればほしいものは満たされているのではないか。無理やりにほしいものを探している感じ。ほしいものがないといけない、という強迫観念に曝されている可能性がある。

そして結局は企業を選ぶ必要がある訳で、必ずそこには利権が絡むだろう。政治家と仲良くした企業にお金が回るようになる。この本を読みながら、私には現在の補助金との違いがわからなかった。理解不足で申し訳ない。

そもそも税を集めてから、国民へ還元されるステップが多いのだ。ステップが多いということは、集めた資金は途中、途中でロスしていくだろう。

 

以上のように、本書を読みながら私が思ったことをつらつらと述べさせてもらった。私自身の考えを整理、そして発展させる上で非常に有意義な本であった。このような本に出会えると非常にうれしい。とても、有意義な読書であった。

 

最後に私自身の最低限必要なものを考えてみた。

すると私自身、最低限必要なものを考えてみると下記のものしかないことに気がついた。

・i Phone

・i Pad

・PC(i PadかPCのどちらかがあれば、究極はいい。しかし、どちらもほしいなー。)

・最低限の食料(三食パスタ?ww)

・ユニクロかしまむらの服を3~5セットぐらい。下着類も。(服は友達からもらうでもいいな)

・住居(実家でいいかな)

・ネットにつながる環境

以上のような感じかな。欲を言えば、大好きな本、マンガ、CDとかもほしいけど、誰かから借りることで満足しよう。本は図書館があるし。

皆さんも最低限必要なものを考えてみてはいかがだろうか?。思っている以上に、なくても大丈夫なことに気がつくかもしれない。

 

どうしようもなくやりたいことに出会いたい -【映画】マネーボール

マネーボールのDVDレンタルが開始されたので見ました。

初めは野球選手についての映画だと勘違いをしていて見るのを敬遠してたんですが、実は野球チームのマネジメントの話ということを知って、一気に見たい気持ちが高まりました。

 

やっぱりどんな業界でも従来の方法と違うことをする場合は、周りから叩かれるのが常なんだなー、と思いました。そしてこのことは日本では当たり前ですが、「アメリカでもそうなんだ」と映画を見ながら実感。勝手なイメージですけど、アメリカは新しい手法をよしとするイメージがありましたが、決してそうではなかった。

 

そしてブラット・ピット演じる主人公のGMの、自分の考えをとことん貫く姿には熱くなりました。そして、自分の考えを貫くための方法をどんどん行っていきます。主力選手ですら、戦略に合わなければ邪魔なので、トレードに出してしまう。その行動がついに身を結び、結果が出始めるシーンでは、感動してしまいました。

 

最後には、多額の給料を提示され、GMを移籍するか迷うのですが、「このチームで勝ちたい」という強い気持ちがあり、チームに残ります。このとき、この人は自分がやりたいことをわかっているんだな、と思いました。金とか地位ではなく、「自分がやることは、コレだ!」というのがわかっている。

この気持ちが自分にもほしい、と見ながら思いました。どうしようもならないぐらい、やりたいことに出あいたい。そして、やってみたい。自分は出会えるのかと、不安になるけれども、出会えることを信じている。

きっと見つかる...

 

小説もでているようなので、こちらもチェックしたいです。