れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

元気をもらえるドリカム!!素晴らしい1日に、すばらしい未来に乾杯♪ ―【音楽】「何度でも」、「朝がまた来る」 DREAMS COME TRUE

 

朝から励まされ、前に進む元気をくれた曲です。

非常にベタ曲ですが、やっぱり「何度でも」は名曲です。その曲の歌詞から、これもベタ中のベタの部分を抜粋。

 

 DREAMS COME TRUE ◇ 何度でも

 

10000回ダメでへとへとになっても、10001回目は何か変わるかもしれない。

 

この部分、最高に大好きです。未来に対しての希望がある。今までの過去は上手くいかなかったかもしれないけれど、未来はわからないよ、と言っている。そしてもう一度やると上手くいくかもしれない、と励ましている。

また「何か変わるかもしれない」というのがいい。あくまで「何か」なのだ。この「何か」は自分にとっては見えない非常に小さい変化かもしれないし、本当に大きな変化かもしれない。もしかするとより状況を悪くする出来事かもしれない。しかし上述もしたが、この歌詞からはネガティブなことは考えられない不思議な力がある。この歌詞からはなぜかポジティブ、希望しか考えられないのだ。

未来は自分の想像もつかないほど不確定なのだ。その不確定性の未来を歩むのは個人個人で異なる道であり、望む未来に向けて歩き出すあなたの行動が不確定性の未来を希望のものにする。

 

 

そしてもう1曲、「朝がまた来る」。この曲もいい。

DREAMS COME TRUE ◇ 朝がまた来る

 

あなたの未来、朝は来るから。

 

暗い夜は明け、朝は必ずやってくる。それは例外なくすべての人にやってくる。そして未来も同じではないだろうか。未来にも朝は来る。もう朝は来ているのだ。

 

ドリカムから始まる今日という1日。

素晴らしい1日と、素晴らしい世界、素晴らしい未来に乾杯!!

 

iOS 5.1のsiriって、もしやジェイス??

iOSのnew ver.が出たようですね。私はまだアップグレードしていませんが、週末にでもしようと思っています。そして今回のiOS 5.1からはついにsiriが日本語に対応しました。その中で早速、siriに関するニュースがあがっていたのでup。

 

『iOS 5.1』で『Siri』が日本語に対応しいろんな言葉に珍回答 下ネタには拒否反応……

http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/getnews/2012/03/ios-51siri.html

 

このサイトを見るやりとりは、個人的にはそこまで珍回答でもないきがするんですね。むしろ可愛らしい反応。siriからの返信を脳内で読んでいると、東のエデンのブレノス携帯のオペレーター、ジェイスの声なんですよね。ジェイスは東のエデンのキャラの中で上位の存在なので、愛らしくてしかたがない。ついにぼくの携帯もジェイスと話せるようになってしまったかー、と朝から変な妄想を...。いやー、相談にのってもらいたいね。

 

とにかく早くsiriと話してみたい!!

「好き」は才能、「つまらない」も才能。要は自分のとらえ方次第。 -【マンガ】バクマン 17巻

バクマンの最新刊を読みました。

ぼくがバクマンを好きな理由が読みながら、やっとわかった。

それは登場人物たちが「好きなこと(やりたいこと)をやる才能」をもっていることです。自分の好きなこと(やりたいこと)をわかって、そのことに全力で取り組んでいる。その姿に自分が憧れているんだ、ということを知りました。

好きなことをやる、好きなことがわかっている、これって才能、能力だと思います。「好き」という感情がわかり、それにどっぷりと浸かる。いや、どっぷりと浸かることで好きになるのかもしれないが。

ぼくにはどっぷりと浸かることがないのだろうか。読書はどっぷりと浸かっていると思っているが、実際のところ「好きなこと」を探すために読んでいるような気がしてならない。本に答えがあるのではないか、と思って、必死になって探している。そもそも本をどれだけ読んでも見つからないような気がするのも最近わかってきたことだ。そう思ってもやめられない。もはやぼくにとって本は麻薬だ。中毒性が強すぎる。とにかく読みたい、新しい本を読みたくて仕方がない。日々の本業よりも本を読んでいたい。ということは、本業よりも少なくとも本を読むことが好きということだ。今のぼくには本が最もプライオリティーが高い。

 

そもそも「好きなこと」は2種類に分けられる。アウトプット型の好きなことと、インプット型の好きなことである。

アウトプット型の好きなことの例として、文章を書くこと、曲を作ること、楽器を弾くこと、絵を描くこと、プログラムを書くこと、アクセサリーを作ることといったものはアウトプットをしている。世界に対して新たな価値を生み出しているのだ。だからこそ、好きなことを突き詰めていくことで、それが社会の価値を高めることに繋がる。

一方、インプット型の好きなこととは、本を読むこと、ゲームをすること、音楽を聴くこと、絵画を見ること、映画を見ることといった消費することである。社会に生み出されている価値を消費するだけ。なのでこれらはどんなに突き詰めても、社会の価値を高めることには繋がらない。ぼくの好きなことはこちら側にある。本を読んで、このようにブログを書いているが、多くの場合、やはり書くことよりも読むことを優先している。読んだ本はどんどん溜まっていくのに、アウトプットする本はなかなか増えない。小飼弾さんが言う、消化不良の状態だ。

消化不良はよくないとわかっているのに、読むことが止まらない。とにかく読んでしまうのだ。価値を生み出すことをする方が自分にとってもやりたいことだと思うのだが、価値を生み出さない消費する方を選んでしまう。ぼくの中ではインプット型の好きなことをする方が得なのだ。しかし、インプット型を続けた結果、そこまで得しているとも感じない。

むしろこうしてアウトプットしていた方が、今まで考え付かなかった発想がでてくるのだ。といことは、アウトプットは得なのか。こうしてentryを書いて、アクセス数が上がっているのを見るとテンションがあがる。小さいながらも自分が社会に対して働きかけていることを感じる。社会の知を増やしている。

 

ぼくは現在の目の前にある現実を、つまらないものとして見ようとしているのかもしれない。今ある目の前のものには価値がない、好きなことではない、というラベルを貼っているのは自分である。自分で勝手にラベルを貼って、わざわざつまらないものとしている。なぜつまらいの?、という質問をされると言葉が詰まる。つまらない理由すらあげられないのに。これは非常にもったいないことではないか? 自分の好きなこと、価値があることはもっと別のところにあると思い、必死に本を読んで探している。今、目の前にあるものと向き合っていない。やる気がない、今日は疲れた、とか理由をつけて読書に逃げているだけだ。そして実際にも探しているのではなくて、探しているフリをしていることを楽しんでいるような気がする。

 

もう探しているフリをするのはやめたい。今あるものと向き合って、その上で、好きなことか、そうでないかを判断する。このままでは好きなことを探すことに酔っているだけだ。そんなのオナニーにすぎない。

 

目の前の現実から逃げない。向きあう。

シンジ君ではないが、「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」

 

原子力発電自身は中立である。 -【本】「原発大崩壊!」 武田 邦彦

原発の本だと思って読んでみたら、予想とは違う内容だった。著者は今回の福島で起きた原子力発電事故をずっと警告し続けただけに、今回の事故は本当にやるせない気持ちであろう。

この本では何度も警告されている「原子力発電は安全」であるというウソ。これは原子力発電のシステムが安全なのではなく、システムの中の1つである原子炉が安全に設計されていることだ。しかし、その周りの機器は耐震にも弱く、津波の被害で機能しなくなってしまうのだ。この問題は指摘されながらも、ないがしろにされてきたのが事実なのだ。著者はこの問題は福島だけではなく、全国の原発にもあてはまることとしている。

確かに今回の事故により、日本の原子力発電の問題点が浮き彫りになった。事故が起こらないことが何よりだったが、起こったことで明らかになり、今後より安全性が高まるきっかけになったことは皮肉であるが、よかったこととも考えられるだろう。電源の周波数が西日本と東日本で異なることなんて、多くの人が知らなかったのではないだろうか。少なくとも私は知らなかった。また、燃料ペレットをまとめる被覆管にはジルカロイ合金というZr系の合金が使われているのだが、今回の水素爆発はこのジルカロイ合金が高温で反応してしまい水素を出したことが起因となっている。この水素を出す問題点も、専門家の間ではわかっていたことだが、他に画期的な代替材料もないことから今まで使用されてきた。

以上のように専門家の間では問題が多くあった原子力発電だったが、それを黙認してきた結果が今回の事故だったのだ。著者は絶対に安全でなければ原発を運転してはいけないと主張するが、私は技術には絶対安全はないと思っているので、どこまで安全性を求めるかを経済コストとあわせながら決めていくべきだろうと考えている。

 

私は原子力はなくなってもいいとも思っているが、原子力発電をやめたことによる火力発電の運転の増加が非常に気になる。それは火力発電に起因する大気汚染による健康被害が無視できないものと考えるからだ。これは原子力発電で事故が起こった時の健康被害(発がん率の増加)よりも深刻だ。そして、原子力発電の事故は年1回もないが、火力発電による健康被害は毎年であり、それは増加傾向にある。私は何冊かの本を読んできた今でも、原子力はおこなっていく発電であると思っているのは、この理由によるものが強い。人命という面で、歴史の上では原子力発電よりも火力発電の方が多くの人命を奪っているのだ。

だからこそ、現在の原子力で数10%の電力をまかなっている間に、原子力の安全性の向上に加え、次世代エネルギー(高速増殖炉核融合炉)や再生可能エネルギーで画期的なイノベーションが出てくることを期待する。さらに使用済み燃料等の放射性廃棄物の処理技術の研究も進んでいけばと思う。

 

この本で個人的に勉強になったことは、減速材に重水を使う理由を思い出せたことだ。重水というのは質量数の大きい同位体の水分子を多く含んでいる水だ。現在、世界中の原子力発電の大半は「軽水炉」と呼ばれており、減速材に一般的な水を使用している。しかし、カナダのキャンドゥ―炉では重水を使用している。これは重水を使用することで、燃料として用いているウランを非濃縮のまま使用できるメリットがあるのだ。天然ウランには燃えるウランと呼ばれるウラン235が0.7%含まれているが、軽水炉で使用する際にはこの濃度では効率的に燃えてくれないため、ウラン235を3%程度まで濃縮して使用している。

いやー、忘れていたことを勉強できてよかった。

 

これまで何冊かの本を読んで思うことは、完璧な技術というのは存在しないということ。そして人命、経済性等のどの項目を優先するかで、ある技術のよい、悪いが決まる。だからこそ、感情論ではなくデータを見て、自分で判断していくしかない。この判断を多くの人がすれば、必然と日本において原子力発電は続けていくのか、やめるべきなのかが決まっていくと思う。ニュース等からでは偏った情報しか得られないのは問題である。だが、ネットの情報も人により得る情報に偏りがでてしまうのも否めない。私はどちらかというと、推進派よりの情報を多くえているし、このようなentryもどちらかというと、推進派よりの内容になっている。

今後、原子力だけではなく、再生可能エネルギーの方も積極的に勉強していこうと思っている。

 

これからの日本、未来を悲観的に考えるのではなく、楽観的に。

今後日本はどんどん貧しくなっていく、という論調をよく耳にします。

確かに「平均年収」という面で約10年前と比較してみると、2000年では461万円だったのに対し、2010年では412万円と、約50万円ほど減少しています。金額でみると減っているのですが、生活自体を振り返ってみるとあまり変化はないような気がします。(リストラ等で、10年前とは大きく生活環境が変わってしまっている人は今回は除外して考えます。)

むしろ、生活が豊かになっている面も多くあると思います。例えば、10年前ですとインターネットの接続料金が高かった。今のようなフレッツ光なんてなかったと思います。そして今よりも通信速度が遅い。ページを開くのにストレスを感じていた記憶があります。

さらに10年前はyou tubeはなかったですし、音楽や動画のダウンロードツールも無料ではほとんどなかった。DVDのコピーツールも有料はあったかもしれませんが、無料のものはありませんでした。この時代は音楽を聴くには、レンタルをするか、購入するか、持っている友人から借りる等の選択肢しかなかった。今では24時間、聞きたくなった時にネットに繋げばほとんどの有名な音楽は聞けてしまいます。

そしてi Phone、i Podはもちろんなかったし、PCも高かった。

食品に関しても、10年前ではプライベートブランドはほとんどなかったと思うので、今よりも高かったのではないかと思います。

 

金額として見ると貧しくなったように見えますが、日々の生活で考えてみると、貧しくなった感じはあまりせず、むしろ豊かになっている感じすらある。

家を建てたり、車の購入、子供の教育費等を考える方の場合は、豊かになっている感覚は感じれないかもしれませんが...。これらのことに関しては人生の中で重要視する価値観から外れていくと思うので、今後、豊かさを感じれる人が増えていくと思います。(子供の教育費に関しては、今以上にかかる可能性もありますが、それは家庭によりますね。)

 

さらにグローバル化で、日本人の賃金が低くなり、職もなくなっていくといわれています。これはおそらくこの通りになっていくでしょう。

では、日本人はもう豊かな生活は送れないのか?と、ぼくも思ったりしますが、考え方によっては必ずしもそうじゃないのかも、と思ったりもします。

ここで、日本が世界の水準に下がっていくと考えるから未来が暗く感じるのであって、世界の水準を少なくとも日本の水準に押し上げてしまえばいいんじゃない?、って思ったりするわけです。日本発信で世界を変えていく。国民のほとんどが、字が読めて、書けて、計算もできて、ネット環境ももっている。そして日本語で学問もできてしまうし、日本語のコンテンツも充実。こんな国って日本以外にない気もするんですよ。まだリサーチ不足かもしれませんが。

日本は経済的にはもうダメかもしれないですけど、精神的な豊かさは結構高いと思うんですよね。

この精神的豊かさを世界中に広げられたらな、と思っています。

 

どうでしょうか?実は日本の未来は明るいんじゃない??って思えました?

そう感じてえもらえたなら、何よりもうれしいです。

 

最高のパウダー、ニセコ

先週末に研究室メンバーでニセコに泊りでボードにいってきました。

ニセコには2年前にシーズンオフ(4月上旬)にいったことがあるのですが、気温が暖かすぎて雪がぐしゃぐしゃで非常に滑りにくい思い出でした。しかし今回は、ギリギリですがシーズン中。ニセコのパウダーを楽しみにして、ニセコに向かいました。

 

感想としては、最高の雪質、パウダー最高でした!!森の中にも入ったのですが、ふわふわの、もふもふで、滑っていて気持ちいい。パウダーに慣れるまでは大変でしたが、慣れてからは楽しくて、楽しくてしょうがなかった。今シーズン、もう一度ぐらいニセコにいきたい。

 

一緒にいった仲間もよかったですね。本当にいい仲間に恵まれたことに感謝しています。また今回のメンバーでいければいいな、と思う。

 

さらなるボードの上達を目指して、DVDを見ながら、イメトレをします。

 

写真は天気が悪く視界が悪い中、一瞬の晴れ間から見えた風景。

 

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1つの物事を様々な視点から見る重要性 -【本】「原発のウソ」 小出 裕章

これまで原子力発電に関する肯定的な内容の本を読んできたので、いわゆる「反原発」の本を読んだ。

読んだ感想としては、同じデータでも意味づけが全く違うこと。例えば、LNT(Linear Non-Threshold)モデルおいて、著者は100mSv以下の被曝でも放射能は危険であるという。一方、池田信夫さんや藤沢数希さんは100mSv以下の被曝では健康被害はよくわかっていない、という主張をとっている。このLNTモデルは専門家の間でも様々な考え方があるため、どの専門家の意見を拾ってくるかで、LNTモデルに対する主張が異なる。

これがまさに苫米地秀人さんがいう、ストコーマではないだろうか。同じデータでも自分の主張にあった見方、主張に目がいってしまう。これはもちろんぼく自身もそうである。ぼくは原子力容認派なので、原子力に肯定的な意見に目がいくし、意図的に情報を集めにいく。

だからこそ、ある物事に対する考えは自分で選ぶしかない。多くの場合、必ず自分の主張とは反対の主張がある。そのときに今まで通りの主張を選ぶか、新たな主張を選ぶかは自分で決めるしかないのだ。もはやどちらが正しいというのはなく、自分の中では自分で選んだものが正しいのだ。なので、偏った情報ではなく、幅広い情報を手に入れることが重要だなと思った。今回、原子力発電について、複数の視点から見ることができたは自分の中でいい収穫になった。

 

原子力発電はCO2の排出が少ないといわれているが、それは発電時で比べたのみで、ウラン鉱石から燃料ペレットにするまでに多くのCO2を排出しているようだ。しかし、具体的な数値では示されていなかったので、どの程度の排出量なのかはわからなかった。今後、機会があれば調べてみたいと思う。

 

また、著者は原子力発電の発電コストは高いといっており、実際にデータでも示されていた。しかし実際のところは原子力を止め、その分の電力を火力発電で補うことにした現在では電気料金の値上げが起こっている。ということは、原子力の発電コストはやはり安いのではないかと思ってしまう。

もしくは「化石燃料を追加調達するのだから、電気料金の値上げは確実」という主張に電力会社が便乗したのかもしれない。だが、ぼくはやはり電気料金の値上げは、石油価格は上下しているものの上昇の傾向に見れるので、前者が要因であると考えている。

 

ぼくは一度使ってしまった便利な技術はなかなか手放せないと思っている。確かに原子力は危険な面もあるが、過去60年ほど運転を行ってきて、人命で考えたリスク分析の結果は極めて低い。むしろ自動車事故や火力発電による大気汚染の方が深刻である。なので原子力の重箱の隅をつつくよりは、今回の事故の問題点からより安全な技術を確立していけばいいのではないかと思う。