れいじのなかのれいじ

神威怜司のbookメモ&思考メモです。

成熟社会、いろんなアイディアを出すことが自分たちの幸せに繋がる。 -【本】「成熟社会の経済学」 小野 善康

気づかないものに気づけた瞬間の喜びは格別である。

 私たちの経済的欲求には、家、クルマ、i Padがほしいといった消費欲求、おいしいものを食べたい、マッサージをうけたいといったサービス欲求がある。私は経済的欲求はこの2つかと思っていたが、著者はもう1つの欲求があることを提示する。

それは「お金をもつこと」という欲求である。お金は本来、消費やサービスに使うための交換ツールとしての機能しかないのだが、現在では持つことで安心する機能も付与されているというのだ。「お金」自身が高い地位をしめている。そしてこの価値観の蔓延こそが、日本の閉塞感の1つの原因であるとしている。

これを聞いて私はなるほどねー、と納得してしまった。新しい発見ができた。

 

その中で著者は、増税→政府による雇用創出→完全雇用の実現→消費の増大、といったサイクルを提示する。

ここで政府による雇用創出は従来の公共事業ではなく、介護、保育、環境、芸術、観光といった、現在、そして今後必要となるもの、より人生を豊かにさせる分野をターゲットにするものだ。しかし、私はこの考えには疑問がある。

まずは増税をしてからの雇用創出という流れである。増税をしたからといって、政府は果たして雇用創出に使うだろうか?。私は政府をそこまで信用していないので、官僚や政治家の懐に流れて終わりのような気がしてしまう。

次に雇用創出を政府が推進していくという点だ。介護や保育のような、人員が足りていなく、民間企業が参入を行っても事業にならない分野をターゲットにしているわけだが、これは規制緩和をするだけで解決すると私は思っている。市場原理にまかせるのだ。しかし、著者は市場の自由に任せると、サービスが高すぎて、現在よりもサービスが受けられない人が増えるとしている。はたしてそうであろうか?。確かに高いサービスも存在するだろう。しかし、必ず安いサービスも生まれるはずである。レストランの値段にバリエーションがあるように、介護や保育にもバリエーションは生まれてしかるべきである。そして多くの人が恩恵を受ける値段帯のサービスの質はそこそこの位置に落ち着くと私は予想する。チェーン店の料理を食べて、そんな外れがないような感じだ。ここはあえて、私のポリシーである楽観主義で考える。

そして最大の疑問は、果たして完全なる雇用は必要か?、というところにいきつく。そもそも無理やり働く場を創る必要があるのかと。だったら、働かなくてもいいんだよ、といってあげた方がいいのではないか。働きたい人は勝手に働き、その人たちの恩恵にあづかって、ギリギリで生きていく人がいてもいいのではないだろうか。そもそも私たちは、よくよく考えればほしいものは満たされているのではないか。無理やりにほしいものを探している感じ。ほしいものがないといけない、という強迫観念に曝されている可能性がある。

そして結局は企業を選ぶ必要がある訳で、必ずそこには利権が絡むだろう。政治家と仲良くした企業にお金が回るようになる。この本を読みながら、私には現在の補助金との違いがわからなかった。理解不足で申し訳ない。

そもそも税を集めてから、国民へ還元されるステップが多いのだ。ステップが多いということは、集めた資金は途中、途中でロスしていくだろう。

 

以上のように、本書を読みながら私が思ったことをつらつらと述べさせてもらった。私自身の考えを整理、そして発展させる上で非常に有意義な本であった。このような本に出会えると非常にうれしい。とても、有意義な読書であった。

 

最後に私自身の最低限必要なものを考えてみた。

すると私自身、最低限必要なものを考えてみると下記のものしかないことに気がついた。

・i Phone

・i Pad

・PC(i PadかPCのどちらかがあれば、究極はいい。しかし、どちらもほしいなー。)

・最低限の食料(三食パスタ?ww)

・ユニクロかしまむらの服を3~5セットぐらい。下着類も。(服は友達からもらうでもいいな)

・住居(実家でいいかな)

・ネットにつながる環境

以上のような感じかな。欲を言えば、大好きな本、マンガ、CDとかもほしいけど、誰かから借りることで満足しよう。本は図書館があるし。

皆さんも最低限必要なものを考えてみてはいかがだろうか?。思っている以上に、なくても大丈夫なことに気がつくかもしれない。

 

どうしようもなくやりたいことに出会いたい -【映画】マネーボール

マネーボールのDVDレンタルが開始されたので見ました。

初めは野球選手についての映画だと勘違いをしていて見るのを敬遠してたんですが、実は野球チームのマネジメントの話ということを知って、一気に見たい気持ちが高まりました。

 

やっぱりどんな業界でも従来の方法と違うことをする場合は、周りから叩かれるのが常なんだなー、と思いました。そしてこのことは日本では当たり前ですが、「アメリカでもそうなんだ」と映画を見ながら実感。勝手なイメージですけど、アメリカは新しい手法をよしとするイメージがありましたが、決してそうではなかった。

 

そしてブラット・ピット演じる主人公のGMの、自分の考えをとことん貫く姿には熱くなりました。そして、自分の考えを貫くための方法をどんどん行っていきます。主力選手ですら、戦略に合わなければ邪魔なので、トレードに出してしまう。その行動がついに身を結び、結果が出始めるシーンでは、感動してしまいました。

 

最後には、多額の給料を提示され、GMを移籍するか迷うのですが、「このチームで勝ちたい」という強い気持ちがあり、チームに残ります。このとき、この人は自分がやりたいことをわかっているんだな、と思いました。金とか地位ではなく、「自分がやることは、コレだ!」というのがわかっている。

この気持ちが自分にもほしい、と見ながら思いました。どうしようもならないぐらい、やりたいことに出あいたい。そして、やってみたい。自分は出会えるのかと、不安になるけれども、出会えることを信じている。

きっと見つかる...

 

小説もでているようなので、こちらもチェックしたいです。

タイムマシンに乗って、今の未来の素晴らしさを体感しよう -【本】「繁栄」(上)、(下) マット・リドレー

まるで本書はタイムマシンである。

なぜなら、人類の歴史をわずか数時間で体験できてしまうのだから。

 

 

下巻 p.12

歴史が伝える教訓は明々白々だ。自由交易は相互の繁栄を生むが、保護主義は貧困を生む。

 

繁栄。

そう、人類は交換と専門化を行うことで繁栄し続けてきた。後退はほとんどなく、前進である。今までも。そしてこれからも。

 

下巻 p.137

悲観主義者の誤りは、とかく自分の知っていることを基準にものを考えてしまう点にある。未来をただ過去を大きくしただけのものと考えてしまうのだ。

 

未来は現在の延長線上ではなく、確実にテクノロジーの進歩等も起こりながら、未来に向かっていくのだ。このことは人類の未来にのみ言えるのでなく、私たち個人についてもいえる。私たちはついつい今の自分の延長線上で未来を考えてしまうが、私たちだって日々何かしらの情報を入れ、変化しているのだ。

 

本書を読むと、今の時代だけでなく、どの時代も「未来は暗い」という悲観主義が蔓延してきたことがわかる。何も今だけが特別じゃない。人類にはまるで、未来を悲観的にみる遺伝子が入っているのか?、と思うぐらい、各時代の人々は悲観的に考えていた。しかし、その人々たちにとって、未来人である今の私たちが現実を暗いと思うことはなく、むしろ今の時代が人類の歴史上、一番いい!!、と思う人が多数であろう。

この事実に気づくだけでも、本書は読む価値のある本である。

 

その時代、時代に溢れていた多くの未来への悲観的見方をまとめ、その主張が現在ではどうなっているか、ということをまとめている。著者の情報の編集能力の高さには圧巻である。

 

私を含め多くの人は、なぜ人々は楽観的ではなく、悲観的な未来を描いてしまうのだろうか?

最悪を想定しておいた方が、実際に最悪な状況になったときにダメージが少ないから?

もともと人類は先のことは悲観的に考えてしまう生き物なのだろうか?

 

私は未来の不安(言い換えれば未来の恐怖)を私たちに与えておけば、権力者たちにとっていい駒として使えるからだろう、と思っている。だから、多くの人に影響を与えることのできるマスメディア使って、「未来は暗い」というネガティブな未来を私たちに植え付けてくる。

未来を不安にさせることで、頑張って働かせ、貯金をさせ、保険に加入させ、家を買わせる。未来の安心を保証する幻想を、私たちに消費させる。

 

しかし、未来が今より悪くなる確率は限りなく低いのだ。それは本書でも示すように歴史が証明をしている。

だから悲観主義ではなく、楽観主義でいこうではないか。

私たちは思ったことを現実にできる素晴らしい力をもっている。悲観的に考えていても、未来は明るく発展してしまったのだから、私たちが楽観的に、希望のある未来を描けたら、どんな素晴らしい未来を創ってしまうのだろうか。考えただけでもワクワクしてしまう。

 

さあ、それぞれ自分の思う明るい、希望のある理想の未来を創造しようではないか。あなたが理想の未来を描いた瞬間、その未来はあなたに向かってくるのだから。

 

高校生カップルは騙される? -【映画】「僕らがいた」

「僕らがいた」の映画を見ました。

予習もせず、マンガも読んだことがことがなかったので、前情報なしの段階で見に行きました。

普通に見るといい恋愛映画として見れます。もう大学を卒業した大人が見ても「いい!」と思うので、高校生が見ると、より臨場感がありすごくいい映画なのではないでしょうか。

ここでは映画の感想ではなく、映画を見ながら思ったことを備忘録的にメモします。

 

この映画は現在の高校生に向けた洗脳映画として見ることができるなー、と思いました。いくつかのシーンを解説。

1.2人で過ごす学校の屋上でのシーン

現在、学校の屋上が解放されていることはほとんどないと思います。しかし、この映画では屋上のシーンがよく出てくる。しまいには、夜の屋上から花火も見てしまう。ぼくも素直に「なんかいいな」と思ってしまいました。なぜ思ったかを考えてみると、屋上で恋人とすごすのは、禁止されている行為、絶対にできない行為だからだと思います。言い換えれば特別な行為。非日常的な行為だからこそいいな、と思う。

もしかすると「恋人とは特別な行為をするもの」という、刷り込みがあるのかもしれません。だからこそ、クリスマスのイルミネーションスポットは毎年、多くの人で溢れているのかもしれません。

 

2.指輪をおくるシーン

アクセサリーショップでかわいい指輪を見つけるシーンがあります。しかし、指輪は三万円もする。高校生には買えません。一度はあきらめるのですが、仲直りをする際に彼氏が指輪を送ります。そして仲直りをするという流れ。

これも好きな人には指輪を贈るのは当たり前、指輪をもらうことが幸せという、ことを無意識に刷り込まれます。そして愛のためなら金額も関係ない、というメッセージも含んでいます。高い指輪を買う高校生が増えますかねー。

 

3.恋人は1人にしなければならない。

主人公の男の元カノは、別の男とのドライブ中に事故にあい死んでいます。このことに対して、元カノはとても責められている。元カノが悪い、という雰囲気です。

これによって、1人の人を好きにならなければならないという刷り込みがされるなー、と。また、彼氏以外の男の人とは2人で出かけるのはよくない、とも語っているような気がします。

 

こんな感じでいくつかのシーンを解説してみました。

勘違いしないで頂きたいのは決して映画の批判ではありません。映画は見ていてニヤニヤしてしまう甘い展開が多くありました。

ですが、私自身、彼女にはこうするべきだ、デートはこういう所にいく、と思っていたことは、映画やドラマによる影響の積み重なりで形成されているということを実感しました。このメディアによる洗脳を実感できたことを書きとめておきたくて、本entryを書きました。

 

映画で結構ニヤニヤしてしまったので、マンガではもっとニヤニヤしてしまうだろうなー、と思います。今度、漫喫にいったときは読んでみようかな。

 

命を懸けた漢達の物語 -【映画】ライトスタッフ

岡田斗司夫さんがおすすめしていた映画「ライトスタッフ」を見た。(確かGayoジョッキーのひとり夜話だったような...)

ライトスタッフ - Wikipedia

 

この映画はジェット機や宇宙船のテストパイロット達の物語です。そして実際の実話でもあります。

おもしろい映画でした。3時間を超える映画だったので、見る前は「途中で飽きてしまうのでは?」と不安でしたが、全く飽きることなく最後まで見れちゃいました。

 

でてくるパイロットたちの生き方がかっこいい。安定に生きるということは考えていない。そして金でもない。

彼らが命をかけてほしいものは、誇りや名誉といったものです。自分が1番であること。

何しろ、4度やれば1度は死んでしまうほどの確率の仕事です。どんなに金をもらっても割に合わない。けれども男達は挑戦する。自分の限界を超え、誰も見たことがない風景を見るために。

 

また技術革新はこういう犠牲のもとでなりたっていることを実感。

ジェット機、飛行機しかり、自動車、原子力発電やエレベーターなど。事故が起こるから、その技術の欠陥がわかり、その欠陥を修正することでより安全になる。

科学技術はぼくたちの生活を豊かにしてくれましたが、豊かになった背景には多くの犠牲があってのこと、ということを忘れてはらない。そして、いつ自分がその犠牲者側にまわるかもわからないということを。

 

テストパイロットであるチャック・イエガーと整備士の何度かあるシーンが好きです。

 

イエガー:ガム持ってるか?

整備士:1枚ならある。

イエガー:くれないか?後で返す。

 

「後で返す」というのは、イエガーなりの仕事前の儀式なんだなーと。験担ぎのようなもの。整備士も「おう、また帰ってこいよ」みたいな感じで、気軽にガムを渡す。なんかいい関係だなーと思えました。馴れ合いの仲間ではなく、戦友という仲間。

 

この映画おすすめです。

見終わった後、熱い気持ちが湧き上がってきます。

 

キャバ嬢やオーナーって大変なのね。

最近、ガールズバーやキャバクラに行くことがあって、そのときに思ったことをつらつらと。

 

まず請求される料金を料金としては、キャバクラが1人7000~9000円/時間、ガールズバーが4000円/時間、程度である。私は安い所に行ったからこれぐらいですんでいるのかもしれないが、値段の高さは天上なしであろう。今回は私が行った店程度の値段と仮定してentryを書く。

 

私が行ったお店の場合、キャバクラでは1人の客に対し、1人のお姉さんがついた。ということは、あたり前だが1時間に1人が稼ぎ出す値段は7000~9000円になる。例えば新米の子の場合、時給が正確にはわからないが、2000円程度とすると、7000円の内70%ぐらいは店側に持っていかれる計算になる。店舗側はこの70%分を店舗の維持費、幹部・ボーイの給料、交通費、酒代等にするのだろう。

一方、女の子側はこの2000円がすべて生活費になるのではなく、ドレス代にも消えると言う。しかもドレス代は平均で1着10000円ぐらいらしい。さらにはネイル代も結構かかり、こったものだとこれまた10000円ぐらいするらしい(私についてくれた子は月に1度通っているらしい)。また1日に働く時間は5~8時間ぐらいである。コンビニとかのバイトよりは稼げるが、そこまで多くはない。むしろ私の想像よりは少なかった。そしてドレス代、ネイル代等の化粧代もかかるので大変である。

しかも年齢も制限されてしまうため、死ぬまでキャバクラは続けられない。となると多くは職を変えるしかなくなるのだ。

しかし若いうちに金があった方が体験したいことを若いうちにできるのでいいのか。このときにブランド地獄にはまってしまったら最悪だが...。

 

こう考えるとキャバクラの仕事って、副業でやるならいいが、本職でやると副業ほどのメリットが得られないような気がする。なので学生がキャバ嬢をやるのは、なかなかのおすすめであると私は思う。自分で使えるお金がはるかに増えるだろう。そのお金をうまく自分に投資できれば、人生が豊かになる。

また店舗経営もお会計をした直後は儲かるような気がしたが、様々な経費を考えるとそうでもないなー、と思った。

やはり固定費をもつビジネスはなかなか大変だね。

 

キャバクラはたまに行くのが楽しく、頻繁に行くものではないことを、身を持って体験。

あなたの授業中の思い出は?? -【マンガ】「となりの関くん」

小飼弾さんのブログで紹介されていた「となりの関くん」を読んだ。

 

小飼弾ー404 Blog Not Found

職業病としての中二病 - 画評 - となりの関くん

 

立ち読みサイトはこちら

FLIP-FLAPPER ≫ 『となりの関くん』第1巻の店舗特典情報&試し読みコーナー

 

今週頭は京都に出張だったので、飛行機に乗る前に新千歳空港の本屋でゲット!!機内に入った後、速攻で読み始めた。

1話完結型かつその1話が非常に短い。

いやー、おもしろかった。

 

話としては、真面目な藤井さん目線から見る、となりの席の関くんの授業中の遊びを描いた物語である。

いや、遊びといっては関くんに失礼か。遊び改め、関くんの授業中の「仕事」の話である。

シンプルな設定ではあるが、「仕事」がなかなか凝っていて、毎回同じ設定でも飽きない。早く新刊を読みたいところだ。

 

学園モノは多く読んできたが、ほとんどは恋愛系で授業中に焦点を当てたマンガは読んだことがなかった。

むしろ存在しなかったのではないか!?

弾さんの言う通りである。

学校ほどもっともマンガに利用される舞台はないが、学校ほどそこで行われている本来の活動がスルーされる舞台もない。コメディ、スポーツ、エロマンガ…そこで描かれるのは色恋沙汰や部活動であり、授業そのものが描かれるものはほとんどない。「鈴木先生」すら主題は「思春期の悩み」であって教科ではなく、もちろん本来の授業はそっちのけ。

 

読者の方々も授業中には様々なことをやって過ごしてきた人も多いのではないか。

私はとにかくマンガを読んでいた。その中でも少年マンガは冷静に読めるのだが、少女マンガは授業中にニヤニヤしながら読んでいた記憶がある。傍から見れば、ただのヤバいやつだ。しかし、ニヤニヤは止められない。授業中に読む巻に限って、ニヤニヤするシーンが止まらなく押し寄せてくる。

楽しかったなー。あのときの少女マンガの乱読で、高校卒業後数年は少女マンガの話についていけたが、今では全く駄目である。そもそも少女マンガを読んでいない。また読み始めようかな。今読んでみたいのは「ちはやふる」。なんか賞をとっているらしいけど、おもしろいの?

もし読者の方でおススメのマンガがあったら、コメントもらえると幸いです。

 

こんな感じで「授業中というのは真面目に聞くものではなく、いかに遊ぶか。」がメインだった気がするなー。

今の子供たちはスマホなのだろうか??

しかし今思い出しても、「授業をもっとまともに聞いていればよかったなー」とは思わず、「授業中にマンガを読むのではなく、もっと他のことをしてればなー」という思いはある。

授業中にコンテンツの消費ではなく、コンテンツの創造をしておけばよかった、という後悔はあるな。例えばイラストを書く時間にあてていたら、上手くなっていただろうなー、と思ったり。

 

忘れかけていた授業の思い出を思い出せ、かつおもしろい。

ぜひ気なった方は立ち読みサイトから。